2年前、私の母校はある転機を迎えた。90年続いた女子高の歴史に幕を閉じ、共学校となった。私は、ギリギリ女子高生活を送ることができた世代である。

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正直、最初は女子高を志望していなかった。女子だけの環境に対して漠然と怖いイメージを持っていた。

受験を決心したのは、母の一言だった。

「(私)と雰囲気が似ている子達をよく駅で見かけるんだよね~」

中学時代に仲の良かった友達がその高校を志望していたこともあり、私は女子高に進学した。

高校生活の日々は発見の連続だった。入学してすぐ、怖いイメージは払拭された。勉強、部活動、趣味。それぞれに一生懸命向き合っている仲間がそこにはいた。

異性の目がない。そういう意味で「女子」としての振る舞いが求められない。みんなが、ありのままの自分を見失うことなく、学校生活を送ることができているように見えた。

高校2年生の時、共学化された後の校名や制服や愛唱歌など様々な選択をすることが求められた。印象的だったのは、女子のスラックスやネクタイの導入だ。

女子だから、スカートを穿く。リボンを身に着ける。

そんな時代はもうとっくに過ぎていて、自分の気持ちで選んでいいのだ。

ブレザーはデザインが一新され、男女で統一された。

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中学生の時、防犯面に配慮して自分達の代からジャージが統一されたことをふと思い出す。

私の中学のジャージは少し特殊で、1個上の世代まで、女子は真っピンクをまとう必要があった。遠目でも分かるような派手なピンクだった。

そこに目を付け、自分より立場が弱い「女子だから」という理由で行動する大人が残念ながらいたようだ。

だが、今回の統一は訳が違う。防犯を考えるというより、そもそも男子だからこう、女子だからこう、といった「カテゴライズ」をするのはいかがなものか、というレベルで話が進められているのだ。

「この選択が全て反映される頃、もう卒業しているんだよな」と思いつつ、まだ見ぬ未来の後輩を想像しながらアンケートに回答する時間は楽しかった。

高校生活を終え、再び私は別学の日々を送ることになる。

中学生と大学生が違うというのもあるが、久々の異性に戸惑った。

3年間のブランクの影響は、少なからずあった。

異性の気持ちが分からずに、悩むこともあった。

「今、何を考えているんだろう?」「え?男子のノリではそれが当たり前なの?」

またひとつ、またひとつと疑問が浮かぶ度に、いかに伸び伸びとした高校生活を過ごしていたか思い知るのであった。

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男子の前では意識していなくても「女子」になってしまうものなのかな~と曖昧な解釈をしている。

だけど女子高にいた時の私も、今の私も「私」に変わりはない。

後輩たちはどんな青春を送るのだろう。今の母校に、女子高時代のなごりはもうないのだろうか。

何はともあれ、これからの母校の歩みを見守っていきたい。

わたしは野球観戦が趣味なので、まずは甲子園に出場してくれないかな、なんて考える。

著しいスピードで進む少子化、ジェンダー平等。

きっと別学の学校は減っていく一方だろう。

だが、できるだけ残っていてほしいというのが正直な思いだ。

もし、共学か別学かを迷っている人がいたら別学に進学することを勧めたい。

毎日毎日、同性だけの空間で過ごす。

自分が与えられた性別と向き合う機会はそう多くはない。

今後の人生を考えても、二度と身を置けない環境であると思う。

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私は「カテゴライズ」された環境の中で、男女の「カテゴライズ」をぼかしながら進む社会の現状を知ることができたのだ。

10年という時の長さは、短いようで実は長いのかもしれない。

防犯面でデザインを統一していた時代から10年経った社会では、ジェンダー平等のためにデザインを統一しているのだから。

だから、10年後の社会がどのような世界になるのか想像することができない。

ただ、ありのままに日々を過ごす女の子がその世界にいてくれたら嬉しく思う。