上司を選びたい。

そんな思いが胸の中で初めて芽生えたのは、新社会人として初めて働いた会社での経験からだった。

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学生時代に抱いていた社会への憧れや期待は、現実の厳しさに直面した瞬間、儚くも崩れ去った。

仕事の内容には興味があったし、やりがいも感じていた。しかし、理不尽に怒鳴り続ける上司との日々は、私の心をすぐに蝕んでいった。

毎朝出勤するのが憂鬱になり、なぜこんなにも人間関係に悩まなければならないのかという
疑問が頭をよぎるようになった。

上司を選べない会社員はなんて不自由なんだろうと感じたのは、そんな日々の中でのことだ。上司が仕事を教えてくれる存在であるべきはずが、その逆で、恐怖と不安の象徴にさえなっていた。

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もちろん、社会人になったばかりの自分がそんなことを言うのは「おこがましい」ことかもしれない。あるいは「生意気」だと思われるかもしれない。

それでも私の小さな胸の中に理不尽なことで怒鳴り続ける上司への怒りや反抗心、そして上司を選べない組織の仕組みそのものへの義憤が高まっていった。

義憤の素敵なところは、時間が経つごとに志に変えられることだと思う。

私の場合もまさにそうだった。
上司への怒りや不満をエネルギーに変え、「いつか自分の力で上司を選べるような存在になりたい」と強く思うようになった。自分に力をつければ、もっと自由に選べる未来が待っているはずだと信じていた。

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そこからもう何年も経つ。

会社員をやめて、独立し生きている。ずっとずっと憧れていた世界だった。

会社の枠に縛られず、自分のペースで働き、誰に命令されることなく自分の力で生きていく。夢見ていたその自由が、ついに手に入った瞬間だった。

人は無い物ねだりをする生き物だ。
会社員時代に憧れていた「時間や場所の自由」は手に入れた。
そして、自分が学びたい人から学び、自分に合った上司を選べる環境も整った。
それは一つの成功体験であり、長年抱いていた夢が実現した瞬間でもあった。
そして、学ぶ相手や上司も選べるようになった。

しかし、憧れの先に待っていたのは、新たな葛藤だった。

それは「自由の持つ難しさ」であり、「自由の裏に潜む厳しさ」だった。

とても厳しくて難しかった。

誰かから学んでもいい。
でもその責任も全て自分にある。

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例えば、毎日会社に行けば確実に給料が振り込まれるという安心感は、もうそこにはない。
独立すれば、仕事がなければ収入もない。
お客さんがいなければ、ビジネスそのものが成り立たなくなるという厳しい現実が待っている。

会社員時代とは違い、誰も保証してくれない。
そのプレッシャーは想像以上に大きく、何度も挫けそうになることもあった。

本当に厳しい世界だと思う。

それでも、この厳しさ以上に「やりがい」があった。
自分のスキルやアイデアを通じて社会に貢献しているという実感は、言葉に表せないほど大きな喜びをもたらしてくれる。

自分が表現することで、誰かの役に立つ。それが直接的に感じられるのは、会社に属していた頃には味わえなかった貴重な体験だった。

独立して数年が経ち、自分で稼ぐ力は十分に身についたと思う。どんな困難にも対応できるような自信も生まれてきた。

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しかし、その先で気づいたことがある。
それは、いくら自由が手に入っても、最終的に「人とのつながり」や「所属」が、人を最も幸せにするという事実だった。

独立した当初は、一人で自由に生きていくことが理想の姿だと思っていた。しかし、仕事を通じて多くの人と関わる中で、つながりの大切さを改めて実感するようになった。

自分一人の力で何でもできると思っていたが、実際には誰かとの協力や支えがあるからこそ、より大きな成果を上げられるのだと気づかされた。

お客さんや仲間との信頼関係が、私のビジネスを支えてくれている。
そして、そのつながりこそが、私にとっての最も大切な「財産」であり、幸せを感じさせてくれる要素だった。

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憧れの世界を手に入れた先に待っていたのは、自由の厳しさとその中での自己成長だった。しかし、その厳しさを乗り越えた先で見つけたものは、個人の力だけでは得られない「人との絆」の大切さだった。

上司を選べる自由を手に入れた先で、私が最終的にたどり着いたのは、結局、人との関係性がどれだけ重要かという真実だったのかもしれない。