春には霞が立ち、夏の夜には虫が歌い、秋の夕暮れには雁が連なり、冬の早朝、人は暖を取ろうとせかせか動く。
「ふるさと」というと、そんな枕草子を彷彿とさせるような、情景と暮らしが想起される。生まれ育ってきた私の「故郷」にそんなものはないのだが。

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そもそも私にとって、幼少期と今過ごしている京都と、高校まで育ってきた広島と、どちらが故郷なのか定かではない。大袈裟に言うなれば、生みの親か育ての親かといったところだろうか。
でも、どちらが故郷かは分からなくても、そんなのはさして問題にはならない。どちらも似たようなものだから。

一体いつ整備したのか分からない、ガタガタのアスファルト道。密集する住宅。朝には年配の方が節々を伸ばしながら散歩したり、玄関を掃いたりしている。そして夜にはバイクがブゥンと遠吠えする。趣なんて塵ほどもない。
すれ違う人の方言だとか、スーパーのアサリの値段とか、街までのアクセスの良さだとか細々したところは違うけれど、根本はちっとも違わない。

大学の同級生がスタバの新作の感想で盛り上がるキンキン声をシャットダウンして体性神経経路の図を指でなぞったり、家から一番近い海までの交通費に目が飛び出そうになったりするのと、スーパーで100g50円のアサリを見つけて味噌汁に炊き込みご飯、酒蒸し、もしくはクラムチャウダーとアクアパッツァの献立を考えたり、スタバ高すぎるよねで友達と盛り上がれたりしたのとは私にとって大したことはない違いだ。そのはずだ。

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だからそんなことで私は虚しくなったりしない。そんなことで私は苛ついたりもしない。快晴の夏休みの日、なけなしのバイト代でやっとたどり着いた天橋立の海の濁りを見ても、悲しくはなかった。「海、綺麗じゃないね」とレンズ越しに見る夫婦の会話を小耳に挟んで、むしろ安心さえした。
やっぱり現実はこうだよな。濁って見えるのは私だけじゃないよな。初めての場所で全てがキラキラして見えるとよく言う、その反対が起こっているわけではきっとない、そんなに私は捻くれていない。大丈夫。きっと私は大丈夫。

ふるさとなんてどこにあるか分からない。少なくともふるさとではないここで、私は今を生きなければならない。枕草子の趣も、心を開ける相手も、安くて美味しい海鮮もここにはない。
けれどどのみち枕草子なんて平安時代の話なのだから。私はここで暮らして都だと思える何かを見つけるしかないか。

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半ば諦めて人間関係にもやもやしていると、いつのまにか秋になっていた。
大学の帰り道、思わず目を細めた西陽は目がくらむほど鮮やかで、いつか能因法師も見たであろう竜田川の錦のように豪華な色合いをしていた。またある雨の日、傘に張り付いた紅葉は菅原道真がはらりと落としていった幣の忘れ形見のように完璧な形だった。それだけで私の中の霧が薄れていく気がした。
私に都会は合わないとはねつけていた場所で、不覚にも心を揺さぶられてしまった。

でも仕方がない。ここは古都京都なのだ。奈良ではないのが惜しいけれど。そこまで思ってふと気が付いた。
この時代、私が暮らす場所にふるさとなんてありえない。でも何百年も前、この場所は「ふるさと」だったかもしれない。それなら枕草子や百人一首やら。時を超えて、今なお時々その世界と通じ合う今のこの場所を、私はきっと愛せる。しかもここは、広島と同じ、紅葉の美しい場所なのだ。
不思議と笑ってしまいたい気持ちになった。

P.S
今回のテーマを見て改めて「ふるさと」の意味を調べてみた。案外私のイメージは正しかったのかもしれない。
「『ふるさと』は心の安らぎやありのままの自分でいられる場所。『故郷』は生まれ育った場所」