私の両親はご多分に漏れず、婚姻時に妻が夫の姓に改姓したパターンの夫婦だった。当時の2人が改姓についてどのようなやりとりをしたのか、あるいは特にしなかったのか、私には分からない。
私が大学生、弟が小学生の時に、両親は離婚した。母は離婚後、再び旧姓を名乗るために2度目の改姓をした。私と弟は今日まで引き続き、父の姓を名乗って生活している。

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弟は両親の離婚に伴って母とともに転居し、小学校を転校した。

少し経った頃、以前の小学校の同級生から、弟に宛ててはがきが届いた。私が偶然手に取ったそのはがきの裏には、母の姓と弟のファーストネームが続けて書かれていた。あり得たかもしれないが、今となっては据わりの悪い組み合わせだった。
弟にはがきを送った子はおそらく、子どもなりに事情を察してそうした宛名を書いたのだと思う。決して弟に意地悪をするような子ではなかった。

宛名を見た弟の方ではそれほど事情がよく飲み込めなかったようで、母に対して、自分の名字はいつの間に変わったのかと尋ねていた。母は淡々と、弟の名字が変わっていないことについて短く説明した。

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母は折に触れて、結婚後に名字を変えたことで自身が被った数々の不利益について、怒りを込めて私に話していた。

特に、旧姓で取得した教員免許状が、結婚後にそれ単独では母本人のものだと認められなかった話が定番だった。そうした制度への怒りを表明していた母でさえ、離婚に伴う改姓の事情を弟に伝えたときの表情は暗く、後ろめたさを含んでいるように見えた。

この事件に居合わせた私は当時、「ああこれは誰が悪いとも言えないなあ」と思ったように記憶している。「離婚したら母親が子どもを引き取って育てるのは当たり前で、だから離婚後には子どもの名字を母親に合わせるものだと弟の友達は推測したのだろうな」。その程度の簡単な想像をして、「まあ仕方ないか」と私は納得したのだと思う。

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しかし、本当に誰も悪くない、仕方のないことだったのだろうか。不公正を維持するものは、それほど分かりやすい悪意の姿で現れるとは限らない。特権を持つ人たちはひっそりと透明なままで沈黙し、非対称な構造の上に居座り続けることができる。

父は母と離婚した事実を、それから数年を経た今でも、父方の親族に明かしていない。体面が傷つくのを恐れるからか、私には分からないような田舎の長男の厄介な事情があるからか。

父はたまたま20世紀半ばの日本で生まれ、結婚や離婚に際して名字を変えずに済む確率がかなり高い側の性を割り当てられた。父は悪意を持って母に改姓を迫った訳ではなかったのかもしれないが、結果として、父は改姓を回避したことで、結婚や離婚の事実を無暗に知られずに済みやすいという特権を享受している。

親族の前で、職場で、役所や病院の窓口で、父は透明なままでいられたけれど、母はそうではなかった。書類を用意し、事情を説明し、知られたくもないパーソナルな情報を開示しなければならなかった。

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分かりやすい悪者はいなくとも、偏った取り決めから利益を得る人たちがたくさんいて、自分が持つ特権性に気付くことすらないとしたら。そうしたたくさんの人たちが、偏りの是正を求める声を無視し続けるのだとしたら。

取り決めは取り決めだから、変えることができる。仕方のないことでは全くなくて、変えることができる。

選択的夫婦別姓を求める声がこの国で何十年も黙殺されてきた事実には、本当にやるせない気持ちになる。とはいえ、変化の兆しはあるし、黙っていても何も変わらないことだけは、もう十分によく分かっている。