お風呂場にいても余裕のある人間でありたいと思う。そして、お風呂場で人間として情けなさを感じることがある。
虫に出会った時だ。

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部屋の中で虫に出会うことは、可能な限り避けたい。だが、私は虫が特別に苦手というほどでもない。室内にクモがでたとしたら、そっとティッシュでつかんで外に逃がしてやることができるくらいには、動じない。
けれど、お風呂場にクモが出たとしたら、と考えるとぞっとする。もし一人であったら、軽く「ギャアァ」と叫んでしまうかもしれない。
お風呂で虫と会う、というシチュエーションが、私はとても苦手である。

お風呂という空間は、人間一人きりで、しかも密室であるということが、虫に対する恐怖を増しているのだろうか(確かにドアは開けられるし、厳密に言うと密室ではないのだが、濡れたまますぐにお風呂から上がるという訳にもいかないので)。

この前は、5cmくらいの大きさにもなるカマドウマに遭遇した。茶色バージョンのキリギリスである。調べてみたところ、湿気の多いところに出やすい虫で、お風呂場で発見されることは、めずらしくないようだ。
もし、自室においてこのカマドウマに出会ってしまったら、少しショックをうけつつも、チラシなどを使って窓から追い出していただろう(死骸を処理するのも大変なので、スプレーを噴射したり潰したりするのは、なるべく避ける)。
だが、カマドウマを見た時に、入浴中だった私は青ざめた。たった5cmの昆虫が怖いのである。相手からしたら、何倍もの図体のヒトはもっと恐ろしい存在であるはずなのにだ。カマドウマには毒もなければ、噛みつくこともしない。本来は恐怖の対象ではないはずなのに。
人間とは脆いものだなあ、とあとになって冷静に思う。お風呂で虫に遭遇すると、もともと虫が苦手な人の気持ちがわかる気がする。

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一番恐ろしかったのは、岩手のホテルに泊まった時だ。そこは大浴場があるタイプのホテルだった。その時は、まだ日が沈む前の早い時間ということもあって、ほぼ貸し切りで露天風呂を楽しんでいた。露天風呂を独り占めするという状態にリラックスしてのんびりして、しばらく気が付かなかったが、少し湯に浸かった後で、そこに看板が立てられているのが目に留まった。
「スズメバチの巣があるのでご注意ください」
プチパニックになった。そっと周囲を見渡して、ハチが飛んでいないことをまず確認。そして、またじっくり周りの植え込みなどを見て、ハチの巣の場所の特定を試みる。しかし、見当たらない。
一人きりで露天風呂を満喫できる状況を捨てるか、露天風呂を諦めて室内の湯に入るか、の究極の二択に悩んだすえ、私はそっと露天風呂を後にした。
今思い返すと、貸切露天風呂を邪魔されたのは、少し悔しい。その場に巣はないようだったし、1匹くらいハチに遭遇しても、お湯に潜れば逃げ切れるのでは、などと考えると、やや未練が残る。

そうは言っても、やはり、お風呂で虫に出会うのは嫌なものだ。

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お風呂は考え事をするのに向いている。アルキメデスがアルキメデスの原理を思いついて「エウレカ」と叫んだ逸話があるように。
そこで、私もなぜ虫とお風呂が相性が悪いのかを、お風呂で考察してみた。

そして思いついたのが、服の魔法である。
服は、人間を自然から守るために生み出されたはずだ。例えば、ケガとか暑さとか寒さである。
けれど、服を着ていることが当たり前の社会になった現代において、服を着ていないというだけで、精神的な拠り所を、1つ失った気分になってしまう。そういう裸の状況だから、お風呂で遭遇する虫が、とても怖く感じるのだろう。

人間は勝手な生き物だ。自分より遥かに小さい体の虫を簡単に駆除できてしまう。本来ならば、なにも人間には害をなさない虫にまで恐怖を覚えるのは、なんとなくきまりが悪い。
虫を駆除するのが、悪いことだとは思わない。けれど、虫を殺めるときに、ほんの少しでもいいから、罪悪感を感じるくらいの余裕がある人間でありたいと思う。

そこまで考えて、入浴中の考察は終わりにしました。