家にあるもこもこの毛糸のカーディガン。
本当はクリーニングに出さなければいけないのだけど、かれこれ3年くらい出していない。
なんでかって?
それは「ばーの家の匂い」がするから。
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「ばー」というのは私の祖母のことだ。
「家の匂い」だからと言って、お線香の香りとかおばあちゃんの家あるあるのあの独特の香りのことではない。
「ばーの家の匂い」というのは祖母が洗濯してくれた衣類からする良い香りのことを指している。
ほんのりフローラルの香りもしつつ、せっけんの香りもする心の落ち着く香りだ。
「香り」と言えばさらに聞こえはいいのだが、小さい頃は「匂い」でしか表現できず20年ほど経った今も「ばーの家の匂い」と言っている。
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小さい頃は、「ばーの家の匂いが消えちゃうから!」と言って、祖母が洗濯してくれた衣類を着ないでいつまでもタンスの中にしまっていたものだ。
祖母とは同居していなかったしそこそこ離れた場所に住んでいたから、ばーの家の匂いがする衣類は大変貴重だったのだ。
今となってはさらに貴重になってしまった。
そう、祖母が亡くなってしまったからだ。
だから、もうあの香りの衣類が増えることもない。
だから、あのカーディガンが痛むと分かっていてもクリーニングには出せない。
できるだけ長くあの香りがしていてほしい。
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まだ祖母が元気だったあの日、私は祖母の家で自分の衣類の仕分けをしていた。
その中にあったあのカーディガン。
もともと気に入っていたので、「これは取っといて」と言って祖母に手渡した。
優しい祖母は「じゃあ綺麗に洗っておくから」みたいなことを言っていた。
洗ってはいけない衣類だということは分かっていた。毛糸だし。
でもここで「これは洗っちゃいけないよ」と言わなかったのは結果的に大正解だった。
あれが最後のばーの家の匂いがする服になってしまったのだから。
香りだけじゃない、あの服には祖母の私に対する愛情も詰まっている。
以前から祖母は病を患っていて、時々しんどそうだった。
そんな祖母が私のために頑張って洗濯して綺麗にしてくれたのだ。
そんな情景を思い浮かべると今でも涙が出そうになる。
手伝えばよかった、「大変でしょ?うちで洗うよ」と言って気遣えば良かったのかもしれない。
今でも少し後悔する、負担をかけてしまったことに。
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祖母は洗濯に特段気を遣っていたわけではなかった。
普通の洗濯機で普通の洗剤と柔軟剤を使って洗濯し、庭に干す。
これだけ聞くと同じ洗剤と柔軟剤を使えばあの香りなんて簡単に再現できると思うだろう。
私もそう思い、何度も試した。
でもあの香りはしない。
何故なのだろう、いまだに分からない。
メルヘンチックに言えば、優しい祖母が家族をどんな時でも愛していたからこそ創り出せた香りだったのだろう。
正月や誰かの誕生日に家族揃って食事をしていた時、祖母はとても嬉しそうだったから。
病を患ってからは、家族に負担をかけてしまうことを申し訳なく思いいつも謝っていたし、いつも感謝を述べていた。
あぁ素敵な人だったな。
「愛」ってこういうことなんだなって教えてくれたな。
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そんな祖母が洗ってくれたあの良い香りのカーディガンは、傷ついた時や頑張りたい時に着ている。
あの香りが香るたびに祖母が横で励ましてくれているような気持ちになる。
もう会えなくてもあの香りがあればきっと私は大丈夫。
例え、香らなくなっても私はあの香りを忘れない。
そして、いつか愛する家族ができた時、私もあの香りを創り出せるようになるんだ。
そしていつか死後の世界で再会できたなら、香りを創り出せたことをまるで小さい子供みたいに祖母に自慢して褒めてもらうんだ。