ブラジャーというものにずっと憧れてきた。小学生の頃から。
いつか私もあれを身に着ける身体になるんだと思っていた。中学から高校にかけては、まだ大丈夫、まだ成長すると年々薄れつつも希望を抱き続けていた。
大学生になってやっと、周りの女の子たちみたいに、私の胸はもうこれ以上成長しないのだと現実を受け入れるようになった。
二十歳を過ぎた今の私に、合うブラジャーはほとんどない。バスルームの鏡にうつる私の身体には、あの時思い描いていたような色気のある下着が似合わない。似合わないというより、合わせられない。少しふくよかな男性の方が私より胸があるんじゃないかと思う。

大人になれば膨らむと思っていた胸が小さいままと悟り、切なくなる

 今までいくつものAカップサイズのものを試してきたけれど、どれもカパカパしてしまうし上に浮いてきてしまって着心地が良くないので、私には一般的なブラジャーは必要がないのだといつしか悟るようになった。
私はいつもブラトップやノンワイヤーの下着を付けている。ストレスフリーで快適である。

 そう、私はずっと胸についてコンプレックスを抱いてきた。くやしくて、胸が小さい(というかほぼない)ということのメリットについて、ずっと考えるようにしてきた。
どれだけ走ったり動き回ったりジャンプしたりしても気にならないこと、うつ伏せでも寝やすいこと、トップス(服)が伸びにくいこと、性的な目で見られにくいこと…等々。
それでも、普通の大人の女性に「ある」と当たり前のように思われている(小学生だった頃の私もそうだったように)ものが、自分には永遠に「ない」のだと思うと切なくなってしまってやりきれなかった。

高校時代ことあるごとに大きくなるコンプレックス。恋愛にも消極的に

 高校生の頃、体育の時間の着替えのとき、いつも可愛い下着を付けている同級生たちを横目に、そそくさと急いで着替えていた。なるべく自分の胸について触れないでくれと思っていた。
修学旅行などの泊まりがけのイベントの、入浴の時間はいつも憂鬱だった。友達はいつも、そんな私を気遣って、体目的の人が寄ってきたりしないし、いいじゃん、と私を慰める。
それなりに「ある」友達には私の胸に対するコンプレックスの深さがわかるはずないと思っていた。自分も「貧乳」だから悩んでる、という子はいたけれど、私より確実にふくらみがあった。私は「貧乳」であることさえも羨ましいと思う「無乳」なのである。

ショッピングモールやデパートで華やかな下着売り場を通るたびに、いたたまれなくなるような気持ちになった。自分は「女性」として欠陥があるのでは、というような気がしていた。
少年漫画には豊かなバストが強調されているキャラクターが多いような気がしたし、コンビニの雑誌コーナーを通るときいつも水着を着た大きなバストの女性の表紙がチラと目に入る。
初めてこっそり見たアダルト動画には大きな胸が揺れていた。男の人はみんな胸が好きなのだ。私にはない豊かな胸が。そう思っていた。だから高校生のときは、恋愛というものに消極的だった。気になる人がいても、進展させようとは思えなかった。

本当に好きな人に出会えたのにコンプレックスから臆病になってしまう

 大学生になってから、私は初めてちゃんと本気で恋をして、心から一緒にいたいと思う人ができた。彼もそう思ってくれているのがわかった。
けれど本当に好きだと思える人だったからこそ、私は自分のコンプレックスをさらけ出すことがとてもこわくなった。
もし彼と付き合って、初めての夜に、私の身体をみてがっかりされたらどうしよう。彼だって可哀想だ。あるはずのものが、ないのだから。

そう思うと「恋人になる」ことが億劫に感じられた。
好きな人に触れたい、温度を感じたい。私に胸さえあれば、いくらでも与えるのに。傷つくのが怖い。欠陥品の私を彼はどんな目でみるだろう。
そんなことばかり考えて、考えすぎてこわくなり、私は彼を避けるようになった。私は鏡の前で裸になって途方に暮れていた。彼の顔が浮かんでは涙が流れる。私はなんて臆病なのだろう。

あの頃の私に伝えたい。勇気をだして全てを告白し変わった現在

しばらくして彼は、私の不自然な態度に、どうしてなのか教えてほしいと言った。とてもまっすぐなやさしい眼で。
私もこのままではだめだと思った。正直に自分の思いを全部話すことにした。私が打ち明けると、よかった、と言って彼は泣いた。

あれから5年、今も隣に彼がいる。あのとき自分があんなに悩んでいたことが嘘みたいに、大切に思われている、と思うし、私も大切に思っている。

胸の豊かなふくらみなんて欲しいとは思わない、といえば嘘になるけれど、今は鏡の前で、自分の身体を眺めて「いいじゃん」と思える。自分の身体は自分だけのものだし、身体は自分の思考ともつながっている。「ない」ものばかりみつめていると、「ある」ものがみえない。

「いいじゃん、わたしの身体は、わたしがちゃんと愛してあげようよ」悩んで苦しかったあの時の私の目をまっすぐみて、私はこう言ってあげたい。