まっとうな社会人生活を送っていく上で最も重要といっても過言ではないのが他者との人間関係であると思います。仕事内容が少し辛くても、対人関係が良ければ大抵の事は乗り越えられますが、逆に仕事自体は楽でも、対人関係が最悪だとその職場では長続きする事はできないと思います。

私は今でこそ他者と交流する上でのトラブル、それに関連する悩みを抱える事は少なくなりましたが、昔社会人になったばかりの時は毎日思い悩み、精神が疲弊してしまう様な日々の連続でした。

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新卒で入った会社で配属された部署は全体的に年齢層が高かったのですが、その中にとりわけ勤続年数が長くお局的な力を所持しているおばさんがいました。ファーストインプレッションの時点でこの人と上手くやっていけるのだろうか……と危惧していたのですが、やはりその想像通り、その後の日々は何かと困難の連続でした。

表面上は怒ったり、そこまでキツい発言をされませんでしたが、自分が言った事、やった事に対して結構な頻度で小言を言われましたし、デスクが隣であったため私が少しでも席を外すと「サボってたの?」と疑いの目を向けられ、ちゃんと仕事をしているのか常に監視されていました。その癖自分は仲の良い同僚と長時間立ち話を平気でしていたので、もう呆れてものも言えません。

しかし、そんな中でも最初は同じ部署の人なのだから何とか上手くやろうと口先のお世辞を使って相手を持ち上げたり、こちらから積極的に話しかけたりと何かと努力をしていました。

が、ある時に私の悪口を給湯室で他の部署の人に話しているのを偶然聞いてしまったのです。しかもその内容は事実と相反する結構理不尽なものであったため、その時点で私はこんなに頑張っているのにどうしてそんな事を言われなければならないのだろう、と心が折れてしまいました。

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それを聞いた日はショックと悔しさで情緒が不安定になり、家族にも感情をぶつけてしまいました。涙が止まらず、その晩はひとしきり自室で泣き続けてしまったのですが……夜が明けると私はふと冷静になったのです。
どうしてあんな人に少し自分の悪口を言われたくらいで、自分はこんなに傷付いているのだろう。それは、相手の事を意識しすぎていたからではないのか。
考えてみれば、配属されてからというもの私はあの人の一挙一動に過敏になり、それでも気に入られようと日々相手の機嫌を気にしすぎていた節がありました。それ故にちょっとした相手の言動で傷つき、腹立ち、そんな状態がメンタル的にも良い訳がないですし、それは結果的に仕事を非効率にしてしまっていたように思います。

それに気付いてからは、なるべく相手を意識する事をやめ、無関心に努めるようにしました。しかし、無関心だからといって無視したり、あからさまに非常識な態度を取る訳ではありません。流石に悪口を言われた直後の日は不自然な態度になっていたように思いますが、その後の日々はなるべく相手に対して当たり障りのない、できるだけ自然な態度を心がけました。

しかし、前のようにおべっかを使ったり無駄に話しかけて機嫌を窺ったりする事はやめ、会話も必要最低限に留めるようにしたのです。

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それをした直後は相手もこちらの何かしらの心境の変化に気付いたのか、少し面白くなさそうな反応を示していましたが、一度相手を意識、期待をしなくなると驚く程に自分の精神状態は安定しており、その後何か小言を言われても、何も感じる事がなくなったのです。

いかに以前の自分は相手の事を意識しすぎていたのか、という事が分かりそれが少し馬鹿馬鹿しくもなりました。

悪口を聞いた際は非常にショックを受けましたが、それにより相手への諦め、一度立ち止まりもう一度新たなスタートを切る事ができたため、結果的にあの出来事は自分にとっては良かったのだと思います。

これ以降、私は人と関わっていく中である程度距離を保つ事を心がけるようになり、結果的に前よりも良い精神状態でいられるようになりました。

嫌な人ほど意識し、相手の事を干渉してしまいがちですが、それをするとがんじがらめになり、結果的に自分の首を締める事にしかなりません。難しい事ではありますが、割り切った強い精神力を保ち続けるのはこの複雑な人間社会を生きる上で必須なのだな、と改めて思います。

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なお、この教訓は現在の職場でも役立っており、何かを強めの口調で言われても、元々精神に武装をしているため、大抵の事ではクヨクヨ悩まなくなりました。

でも、きっと以前の自分であったらすぐに落ち込み、ずっと負のループに陥っていたのだろうと思います。

それを打開できたのは自分の中でとても大きい成長であると思うし、今では私の悪口を言ってくれたあのおばさんに感謝の意を示したいくらいです。