大学卒業後、私は新卒で入社した職場をすぐに辞めた。

その後いろんな仕事に就いたが、短期離職を繰り返し、鬱っぽくなっていった。
仕事が続かないと、友達にも会いづらい。
周りからはどうしようもない、自分勝手な人間のように映っていたかもしれないけれど、必死だった。

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学生時代は、体調不良でもない限り学校はほとんど休まなかった。
部活にも入っていた。大学を卒業してからセルフイメージが一気に崩れた。
だけど就職活動をしていた時から、なんとなくこれから上手くいかなくなるような予感がしていた。

頑張っても頑張っても上手くいかず、人と距離を置くようになっていった。
何がダメなんだろう、あとどこを治したらいいのだろうとずっと考えていた。
次第に何をする気もなくなり、寝込むことが多くなった。
精神科にも行った。3件ほどまわった。正解が知りたいといつも思っていた。

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精神的不調が強くなった頃、ちょうどコロナ禍になった。
家で何かできないかと思っていたので、在宅でクラウドソーシングでライターをしていた。

母親は、私が精神的な不調に見舞われたとき、「20代って、一番楽しい時なのに」というようなことを言った。
母親にとっては「20代=楽しい時」であり、特に私を責める意味はなかったのだろうが、
「私に普通を求めないでほしい」と返すのが精一杯だった。
でも、本当にそうなのだ。

最初の職場を辞めてハローワークに行った時も、窓口の職員にもそんなことを言われた。

「今が一番楽しい時でしょう」

仕事が続かなくて、お金がないから友達がどんどん疎遠になっていって、それでいて一体何が楽しい時なんだろうと思った。

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友達との集まりに顔を出すと、当然仕事の話になる。その時、私は黙って聞く側に徹する。
聞かれたら退職したことを話すが、気まずい雰囲気になり、とても申し訳なくなる。

しだいに、集まりに顔を出すのが億劫になっていった。

当たり前のことが当たり前にできている。それが羨ましい。
何かにつけて周りの人間と比較しては落ち込んだ。
「気にしてもしょうがない」と頭で考えていてもできない。
とにかく、近況を話さなければならない場に行きたくなかった。
だけど、友達と疎遠になりたいわけじゃない。その葛藤といつも戦っていた。
結果、疎遠になった。

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クラウドソーシングのライターをしばらくやったあと、その後紆余曲折あって私はアルバイトを始めた。
世の中はコロナ禍が少し落ち着いてきていた。
アルバイト先の業務の中で、やりたいことの要素を見つける。
その後きっかけのようなものを掴み、上手くいくかどうかはわからないけれど、アルバイト先を退職することにした。

私の年齢では当然だけれど、いやでも結婚や出産で周囲が騒がしい。
自分は自分を生かすことで精一杯である。
それどころじゃない。人に幸せを与える余白が全くないのだ。

日々をただ生きることしかできない。
世間一般でいう、いわゆる「普通の幸せ」は諦めざるを得ない。

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だけど、浮き沈みを感じながら、昔と少しだけ変わったことがある。

何がダメなのか、あとどこを治したらいいかとか、そんなことよりも、ダメな自分も受け容れる、それも自分なのだと、認めることがとても大切だということに気づいたのだ。

浮き沈みは今もある。
以前の自分なら、「こんなんじゃいけない」「元気でいないと」と自分を責めていただろう。
上手くいっている時の自分しか認められないので、とても苦しくなる。

上手くいっている時の自分を認めるのは、きっと誰だってできるだろう。
だけど上手くいっていない時こそ、それを意識してやってみるようになった。
そんな状態の自分を責めないでいるのは、結構難しい。

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これからは、自分だけはどんな時もどう感じても、自分の味方でいようと思う。
これまで、「今度こそは本当にもうダメだ」と感じた瞬間もあったけれど、結局生きてきたのだから。

私が一番こわいものは、自分を責める自分である。