小さいウソ。私の中にいる子たちを隠したこと。

聞いて驚いてくださって構わないのだが、私の中にはたくさんの人がいる。人はそれを多重人格と称したり、人格障害と称する。
私は彼らと共存して、ずっと生きてきた。

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物心ついた時から一緒だった。年齢とか、どういった子かは変動しても、誰かいることには変わりなかった。ずっと、ずっと一緒だった。
その中でも双子の兄弟、ラナトゥルスとローゼスティエは名前や姿を変えながらも初期からずっといた。小学生の頃には普通にいた。ただ表に出てこなかっただけ。

それが変わったのは小学三年生の頃。
引越しによる祖父母との別居を含家庭内環境の変化と学校でのいじめが重なった結果、私に居場所がなくなったのだ。

オリジナルの〈美咲都であった私〉はこの時から眠りについた。今までかすかに起きることはあれど、表に出てきたことはほぼない。
代わりにメインで〈美咲都を演じる私〉と〈辛い時肩代わりする子〉たちができ、表に出るようになった。

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その子たちは、この身体の中で成長していった。けれど耐えきれなくなっては、また他の子に変わっての繰り返しだった。
私たちはそのことを明かすのが嫌だった。

演技しているんじゃないかと言われるかもしれないことはもちろん嫌だった。でもそれ以上に、私の中にいると思っている彼らが作られたはりぼてで、実はいないとされる方が嫌だった。

だってこんなにも話せるのだ。
時に父親のように、きょうだいのように、時に悪友のように、恋人のように、私に接してくれる。

私たちは運命共同体で、この身体の運営者だという共通認識がある。だからこそ、手放すわけに互いにいかなかった。
今でこそそう言えるだけで当時は殺伐としていたけれど。
でも、周囲にはそう言っていられない。同一人物であり続けなければ、指を刺されて倒されてしまう。そんな恐怖があった。

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だから私は、仮面を被った。
「あの子たちはいませんよ。全部ひとりの私ですよ」ってフリの仮面を。
今でこそ出てくる子で声が違うが、昔は喉を潰していなかったため、同じ声だった。だから余計バレなかった。

口調をちょっと似せて、話すだけ。それで上手くいった。
なによりも自分をなぜ出してはいけないんだって喧嘩にもなったし、「認めろ」って喧嘩にもなった。その喧嘩でいなくなった子もいる。

どこか認められないながら、心の底ではわかっていた。彼らは私の一部なんだって。
小さいウソ。「柏山美咲都」を複数人で動かしているということを隠し続けたこと。
それは案外上手くいっていたらしい。目ざとい先生には勘づかれはしたが、言及されなかった。

両親はうっすら違和感がありながら気のせいだと思っていたらしい。友人にもバレていなかった。私は無事、ひとりを演じていた。
けれど、限界が来るもので。短大卒業頃には仮面が剥がれ、精神科に通い出した。

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そこで紆余曲折あった。現在の先生の見立てとしては、「何らかの人格系の障害があるのはおそらく間違いない。が、複数の要因が重なっているため、どれと一言で言い表せない。経過観察を続ける」というものだ。

先生によっていろいろな診断が出ているから、本当に難しいのだと思う。
生きていく上で診断名が必要だから拘っているが、私個人としては彼らが〈存在する〉と言って貰えた時点で安堵しているのだ。

これからも運命共同体ね。ずっと一緒ねって言えるから。