三十年以上付き合ってきた私の名字は、九割九分正しく読んでもらえないし、正しく書いてももらえない。この名字が関東の地名だと知ったのは、二十代で上京したあとだったが、関東でもそれなりにメジャーな地域のはずなのに読まれず書かれないとは、なんと知名度の低い名字なのかと、あらためて知ることとなった。

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たかはしさんは同じ悩みを持っていると思うし、わたなべさんとさいとうさんに至ってはもっと深刻な悩みをお持ちだと想像するが、私の名字の読みは大きく二つの漢字表記方法が存在する。そして私の名字は、その二つのうちマイナーな方だ。しかも、圧倒的少数派らしい。予測変換では私の名字ではない方が上位に出てくる。

私は私の名字の表記でしか申請をしたことがないのに、どうして人はそんなに簡単に人の名前の表記を間違うのだろうかと、自分の名前を漢字で書くようになってからずっと考えている。

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私はこの名字に思い入れがあるというか、もはや意地になっているのだろう。正しく書かれることに執着しているし、おそらくその思いが影響して文字そのものに強い興味を持つようになった。諸外国語を含め、趣味で世界中の文字を勉強している。ともかく、人は見たまま書く、ということが思っている以上に不得意だということを私は身をもって知っており、私が初めての文字を書く時はできるだけ見たまま書くようにしている。

私が最初に就職した会社の勤務地は有名百貨店内だったため、お客様の名前に触れることも多く、配送伝票や贈答品等の掛け紙の名入れなど、お客様の名前を絶対に間違えてはいけない場面も多々あった。当然私は間違えたことはないが、私自身は保険証、名刺、掛け紙の名入れ、診察券などで名字の表記を間違えられてきた。請求書だけは常に正しく書かれているので、皆それぐらいの本気度を持って人の名字を書いていただきたいものだ。間違えた漢字の宛名で請求書が来たら払わないぞと思っているが、すべて正しいからすごいと思う。

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正しく表記されないことにずっと不満を持ってきたが、不満ばかりでは生産性もないので、間違えた方に直接聞いてみることにした。

百歩譲って、予測変換でそちらを選択してしまった、は許そう。しかし、私がこう書いてくださいと直筆したものや、正しい名刺を見せた上で間違えた方には、「字が違います。なぜそのように書いたのですか?」と聞くことにしたのだ。実際にこの質問をしたら、数名が「どこが違いますか?」と聞き返してきたことには大変驚いた。決して責めているわけではなく、もはや文字研究の一環としての調査のために質問しているようなものなので、優しくも怒りもせず、普通に質問しているのだが、「この二つの字が同じに見えますか?」とどんなテンションで言っても相手は不快に思うだろう。いや、なぜ私がそこまで気を遣う必要があるのか。

実際、大変気を遣うのは、仕事上で取引先の方からメールを頂く際に、表記が間違っていることを指摘する時だ。最初に言わないとそのあとは言いづらくなるし、かといってずっと間違え続けられるのもいやだ。毎回、大変丁寧にお詫びのご連絡をいただくのだが、皆さん間違えられるのでお気になさらないでくださいと伝える度に、だからどうして私が気を遣わなければならないのかと思ってしまうのだ。

最近は、「みなさんに、気を付けて木を付けないでください、とお伝えしています」と文字遊びのような形で伝えることもあるが、この問題は遊びではないのだ。コピペでいいから、と思うのは不謹慎なのだろうか。

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私は相手の名字も大事に取り扱う。だからせめて私の名字も正しく認識してもらいたいと願っている。