私が結婚したのは26歳の夏だった。夫とは大学のサークルで同期として出会い、両思いになり、付き合って6年目だった。
交際中、私は彼と結婚するものだと思っていた。それは、彼を一番に理解しているのは自分だと確信していて、私を自分らしくいさせてくれるのは彼だと、当然のように信じていたからである。そのため、恋人から婚約者になり、妻になることは自然なことだった。

彼の妻と名乗るためには、「名字を夫の姓または妻の姓」にしなければならない。私は結果的に自分の姓を変え、夫の姓を名乗ることにした。
理由の1つ目は、夫は技術職、私は営業職で、時間に自由が利くため、名義変更等あとからいくつも出てくる手続きをこなせるのが私だったためだ。
2つ目は、私は名前で呼ばれることがほとんどだが、彼は名字で呼ばれることが多いため、相対的に名字が変わる影響を少なくするため。
3つ目は、あえて妻の名字にすることでの説明回りを避けるため。お互いに一人っ子ではないため、家のため名字を残すという考えはなかった。

自分の名字を捨てるのは悲しい

どちらかが名字を変えなければいけないことを意識したとき、私は自分の名前が好きだと自覚した。画数が多く、学生時代のテストでは苦労したことも多かったが、それでも並んだ漢字4文字が好きだ。相手の名字が嫌いなのではなく、姓名が1つの私という存在を作っていて、それが変わることに不安を覚えた。
私たちは法律婚にするか事実婚にするのか、また名字はどうするかの話し合いをした。そして、それぞれの名字を守るために事実婚を選ぶのではなく、強制力のある法律婚を選んだ。彼には正直に、自分の名字を捨てるのは悲しいと伝えた。彼の名字になるだろうと分かっているからこそ、自分の気持ちは伝えておこうと思った。

いざ婚姻届を出してみると、戸籍から旧姓の自分はいなくなってしまった。
世界から自分の過去を消された気分さえした。私が紡いできた人生は、二重線で簡単に無かった事にされるのかと、呆気に取られた。世間では結婚は幸せなこととされているのに、夫の名字になったことに対して、「幸せ」という感情が浮かばなかった。

法律婚を選んだことに、後悔はない。しかし、二人で話し合って決めたはずなのに、自分だけ名字を変えなければならなかったということに対して、自分が我慢したのだと不平等感を持ち続けている。
別の時間を生きてきたことだけでなく、彼に恋した時間も宙に浮いたまま家族になった。友だちや同僚、お客さんから、幸せな新妻扱いをされると、私が一番に自分を幸せだと言い切れないことに申し訳なさを感じてしまった。幸せ者扱いをされているのに、自分は違和感を持っているという態度を取ることは出来なかった。
愛する人が「私を自分らしくいさせてくれる」と信じていたことは、彼の名字を選ぶことで曇ってしまった。結婚とは我慢と言われればそれまでだが、新しい名前を見るたびに抜け落ちた過去を思わずにはいられない。