私は子供の頃、自分の名字がキライだった。「望月(もちづき)」なんて言いにくいし、響きも好きではなかった。
小学生の頃は特にあだ名はなく、女子からは名字ではなく名前で呼ばれることが多かった。自分の持ち物に氏名を書く時も、フルネームを書かなくてよいものは名前の方を書くようにしていた。
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ある時、隣の席の男子に「望月っていう名字がイヤだ」と話したところ、「俺なんて『田中』だよ?田中の方がありふれていてイヤだろ」と言われた。
「たしかに『田中』よりはマシなのかもしれない……」と失礼ながらそう思ったが、かといって自分の名字を好きになれるわけではなかった。
名字に関するエピソードと言えば、中学1年の頃、社会の先生にこんなことを言われた。「藤原道長が詠んだ歌に『望月』って入っているよね。満月という意味の名字なんていいねぇ」
”この世をば 我が世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば”
先生にそう言われ、たしかに和歌に使われているなぁと思いつつも、だからなんなんだ?という気持ちしか湧いてこなかった。満月という意味を持つというのも、特段うれしいことではなかった。
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変わらず「望月」という名字が好きになれなかったが、中学2年の時、仲のよい友達が私のあだ名を考えると言ってきた。その子が思いついたあだ名は、「もちこ」だった。
名字であだ名をつけられるのは初めてだったが、悪くなかったので「もちこでいいよ」と友達に言った。
それから「もちこ」と呼ばれるようになり、それがいつの間にかまわりに広まって、先生たちにまで「もちこ」もしくは「もっちー」と呼ばれるようになった。
そのあだ名が定着してくる頃には、名前の方で呼ばれることがほとんどなくなった。私自身も、「もち」という響きはかわいくていいなと思うようになっていた。
「もちこ」というあだ名を考えた友達は、「私が名付け親なんだよ」と、どこか自慢げにほかの友達に話していた。
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「もちこ」と呼ばれるのが当たり前になってきた頃、ちょっとした事件が起きた。
校内シューズを更衣室のロッカーの前に脱ぎっぱなしにして帰ってしまったらしく、翌日登校したらロッカーにシューズが入っていなかった。見回りに来た先生がシューズを回収したのだと思い、私は担任の先生に聞いてみることにした。ところが担任のところにもシューズは届いておらず、その日私は革靴のまま過ごすことになった。
シューズが見つかったのはその翌日だった。ひとつ上の学年の先生が届けて下さり、間違ってその先生のクラスの子の靴かと勘違いしてしまったとのことだった。シューズには名前だけ記載しており、同名の先輩がいたためその先輩のものと思ってしまったようだ。
担任にシューズが無事見つかったことを伝えると、「今度から『もちこ』って書いておけっ!」と怒られた。
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それから高校、大学に入ったあとも、私は「もちこ」と呼ばれていた。もはや自分の名前は「もちこ」だという気さえしていた。友達が暑中見舞いのハガキの宛名に「望月もちこ様」と書いて送ってきた時は少し焦ったが。
そして現在、何の因果か付き合っているパートナーの名字は「田中」という。もともと結婚願望がないため、結婚という形をとる予定はないが、「望月」という名字を変えたくないという気持ちもある。
今となってはとても思い入れのある名字だ。夫婦別姓が認められたのなら、結婚をしてもよいかもなとぼんやり考えている。