「何者かになりたい」からの脱却。公共劇場に足を運んでみてほしい

私は2年間地方にいて、4月に生まれ育った東京に戻ってきたのだが、思うのは、地方の20代は「何者かになりたい」といったガツガツした人が比較的多かった、ということだ。
私も地方の文化センターで働いた後、地方のNPOに関わったのだが、ある清掃会社の社長に言われたことがある。「文化センターの職員じゃなくて、もっと派手な仕事が君にはいいと思う」というようなことだ。
余計なお世話だ。20代未婚社会人女子=テレビに出てるアイドルや女子アナのような子、と決め込んでいるのではないか?
実際私は、ビールの売り子に仕立てられようとしていたらしい。
先日、京都の実家に戻った、大学の同級生のバンドマンが東京でLiveをするため観に行った。久しぶりー!となった後、「なんか、ビールの売り子やってたよな?」と言われた。私のインスタから見て売り子さんをやっているように見えたらしい。
ビールの売り子――。
私は以前、「かがみよかがみ」で野球場のビールの売り子のバイトをしていた大学生が、その見た目をおじさんたちの変態チックな目にさらされていたエッセイを読んで、マジで引いてた。が、端から見れば、あの時の私もそんな感じだったのか。地域の未来をつくるとかいう理念を表上、掲げながら、ごく一部の人々を除いて皆、私をキャピキャピしたビールの売り子に仕立てたかっただけか。理事長は30代半ばの女性だったが、裏では清掃会社の社長はじめおじさんたちが仕切っていた。
私はビールの売り子を悪く言っているのではない。
私の学生時代の主なバイトは、それこそ文化センターの公演案内スタッフと駅ナカスーパーのレジ打ちだった。ウェイトレスなどもやったことはあるが、人並みに仕事ができなく、すぐ辞めた。だからビールの売り子なんて、私にとっては別世界だ。
文化センターで働いていたような私が、なぜキャピキャピを演じながら仕事をしなければならないのか。地域活性化のために若い女性が活躍するには、おじさま受けするような女の子を演じるしか道はないのか。
私の名字は「名字由来net」によると、全国4,122位、およそ2,800人らしい。
少ない方だと思う。
しかし私は2歳年上の兄と双子の姉がいるため、中学までは学年の名簿に珍しいとされる名字が2つ、学校全体だと3つ記載されていた。だからあまり珍しいと思ったことはなかった。それに横浜の一部の地域に行けば、家々の表札には自分の名字の人がたくさんいる。その名字のついたアパートまである。
この名字の人は、公共的な仕事についている人が多いのではないかと私は思う。
私の母は、教育委員会でスクールソーシャルワーカーをしている。離婚したが、離婚後も旧姓に戻していない。兄は新卒時からずっと東京23区の職員として働いている。双姉は公務員として翻訳や通訳の仕事をしているらしい。
私も今現在はいちおう準公務員として文化施設で働いている。兄以外それまで仕事を転々としてきたが、いまは皆、公務員として収まっている。そういえば3年前に亡くなった横浜の祖父も、現役時代は国鉄に勤めていたと聞いたことがある。いまでこそ民間だが、公務員だったのか!横浜の公共劇場でも、同じ名字の方を見つけたことがある。
この先、名字が変わったり、人生のあらゆる面で選択の必要に迫られたり、再び誰かに惑わされそうになったりしても、私は、公共の視点で物事を考えるというぶれない軸を持っていたい。この名字にかけて?
この秋から、東京西部の公共文化施設の市民参加型ダンスプロジェクトに、ひょんなことから参加することになった。私は素人だけれども、踊ることで公共の文化芸術に関わり、市民や近隣市町の人々や若い人やこどもや、私の友人らも出来たら招待して、彼らが公共劇場に足を運び、生の芸術に触れることで何者かにならなければならない、というメディアが人工的に作り出したキャピキャピ像から抜け出せる一助を創り出せたらと思う。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。