その人を代表する情報と言えば、最初は見た目。服装や髪の色、仕草や話し方の全てが、その人を表している。
その次と言っていいが、名前ではないだろうか。
人間、十人いれば十人の名字と名前が存在する訳が、名字のイメージというものは意外とないようであるもの。

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特に沖縄出身の方の名字、例えば具志堅や比嘉、金城や大城といった沖縄を代表する名字を聞けば、絶対に次ような質問が頭に浮かぶ。

「沖縄の方ですか」

名字はその人の地元であったり、先祖のルーツを象徴している。
私の場合、五十嵐という名字は新潟に行くと非常に多い。私の父が新潟出身者だった。
そんな父の名字を、どうして私はいまだに残しているのだろう。今回、このテーマを書くことで疑問を抱いた。

私は父がとても恐かった。
物心ついた時から、父は暴力を振るう人だと認識していた。
父の機嫌をとる事に、毎日集中しなければいけなく、そのせいでいつも自分の事は二の次。今日日が、どうか無事に終わりますようにと願っていた少女だった。
早く父から離れたいと、大人になる事急いでいた。
それから高校年生になり、暴力をずっと我慢していた母がやっと離婚を決意した。お金や生活の事も含めて我慢していたのかもしれない。
やっと自由になれる。
そんな思いを抱きながら高校を無事に卒業し、父と離れられる生活環境になっていった。

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あんな事があっても、母は父の名字のまま過ごしていくと決めた。私と別の名字になりたくなかったからだ。
いろんな手続きの場所で、親子の名字が異なるだけで、この国は違和感を覚える。いまだ夫婦別姓も認めてはもらえない現実と同じ。
あれから二十年以上たつが、母も私も五十嵐のまま。この名字がある限り、父を忘れることが出来ないのに、どうして父の名字を私は残したのか。

もしかしたら、忘れてはいけないからかもしれない。父と離れたいと思ったあの日から父と会っていない。会ってしまえば、また幼い頃の私に戻ってしまう。父の顔色をって機嫌をとり、ずっと緊張の休まらない自分に疲れてしまう。
会わないという行動は、やっと自分で手に入れた。でもそれは、父側からすれば勝手に縁を切られ、寂しもあるかもしれない。第三者にこの話をすれば、私は親不孝だと言われてしまうのかもしれない。
だからその分、父の名字を残すことは、あなたを忘れている訳じゃないという証なのかもしれない。

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名字というものが、運命の赤い糸のような存在である事に、今回気づかされた様な気がした。どんな家族にも存在し、家庭を結びつけている。

いつか夫婦別姓が出来るようになって、子供が親の名字を選べる世の中になったら、名字赤い糸は一本ではなく二本に増え、多様性と多文化の考え方が、もっともっと出来たらいいのに。