1000年前に女性として生まれていたら、「春はあけぼの」で始まるエッセイを書いたのはわたしだったかもしれない。とはいえ、清少納言も紫式部も上流階級の女性だ。そして、平安時代は男女関係なく、読み書きができる人は今ほど多くなかった。
特に裕福ではない一般家庭に生まれたわたしにとっては、文章を読むことすら難しかっただろう。文章を書くなんて夢のまた夢だ。

「女性だから」という理由で諦めなければいけなかった人たちがいた

もう少し現代に近づいて、もしも100年前に女性として生まれていたらどうだろう。平安時代に生まれるよりも、読み書きができる可能性はぐっと上がる。けれど、高校・大学に進学できる女性がどれほどいたのだろうか。
もちろん、今のものさしで単純にはかることはできない。当時は男女の役割を明確に分けなければ、社会全体が回らなかったのだろう。そして、性別に関係なく進学率自体が低かった。
何かを学びたいと思ったとき、それがどんなジャンルであれお金と時間が必要になる。特にお金の問題はシビアだ。
例えば、わたしの祖母は「勉強が好きだったから、本当は高校に行きたかった」と言っていた。地方在住で決して裕福ではない。そして、妹や弟もいる。もしかしたら、高校に行ける可能性を秘めていたかもしれないのに、叶わなかった。自分事として考えると、とても悔しい。
同じように、可能性を秘めていても「女性だから」という理由で進学を反対されたり、諦めざるをえなかったりする人がいた。学びにお金や時間をかけることは可能性に賭けることだ。当時は「女性だから」という理由で可能性に賭けられなかった人が大勢いたのだろう。

令和になってもまだ女性が生きやすい時代ではないように思う

わたしは平成に生まれ、令和を生きている。自分が望んだ教育を受けることができた。でも、女性が生きやすい時代になっているかというと、そうではないと感じている。
高校生の頃にディベートの授業があった。選択的夫婦別姓も議題に上がっていた。自分が結婚を考える頃には実現されているような気がしていた。あれから10年以上の時が流れた。
そもそも、選択的夫婦別姓についての議論はもっと前から行われてきたはずだ。それでも、まだ実現していない。わたしの知る限り、多くの女性が結婚を機に姓を変え、新しい姓を名乗っている。
とある友人は珍しい名字の持ち主で、その名字由来のあだ名で呼ばれることが多かった。名字を変えることには迷いや葛藤があったけれど、最終的には夫の名字に変えた。そんな彼女は仕事では旧姓を使い続け、運転免許証に旧姓併記することで長年慣れ親しんだ名字を残している。
選択的夫婦別姓が導入されても、大多数が利用するわけではないことは分かっている。わたしを含め、選択的夫婦別姓を望む人は、文字通り選択肢が欲しいだけだ。

「女性だから」と言われることなく堂々と意見を言えるステージへ

怒りをエネルギーにしたキラーフレーズは社会に分かりやすく影響を与える。そんな運動を起こす人たちが、あざ笑われることがあってはならない。
当然だけど、同じ女性であっても同じ考えを持っているわけではない。歩いてきた道が違えば、考え方だって違う。ときには意見に賛同できないことだってあるだろう。そして、自分が経験していないことには意見を持ちづらいし、持ったとしても言いづらい。
けれど、想像力だけでは不十分であることを分かった上で、自分事として考える姿勢を忘れないようにしたい。かつては堂々と意見を言うこと自体がとても勇気のいる行動だった。ときには逮捕されたり、命が危険にさらされたりする時代だってあった。
でも、少なくとも今の日本には、安全に意見を言う自由はある。さまざまな問題が立ちはだかって、複雑になってしまっているけれど、本来の女性の願いはもっとシンプルだ。「女性だから」を押し付けられて、わくわくすることを諦めたり、慣れ親しんだものを捨て去ったりしたくないだけだ。敵を作りたいわけでも、常に怒っていたいわけでもない。
まずは話を聞いてほしい。「女性だから」と言われることなく、堂々と意見を言えるステージに立ちたい、願いはただそれだけだ。