結婚3年目、2歳の息子を持ち現在第二子妊娠中の主婦です。夫も私も国籍は韓国ですが、日本生まれ日本育ちです。韓国では夫婦別姓制度が取られており、我々もその対象となります。子供には父親の名字が受け継がれ、特に女性は、結婚しても名字は変わりません。

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昔からドラマや漫画の中で、中学生や高校生が好きな男の子と結婚し同じ名字に変わることを妄想したり、大人になれば結婚の約束をし、実際に名字が変わることを喜び、人生の大きな転換期に感動する姿を見てきました。

しかし私にはその転換期が訪れても、変わるものがありませんでした。周りの友人らが続々と結婚し、LINEの名前の名字が変わって誰だがわからなくなったり、招待された結婚式の座席表で名字を見てもピンと来なかったけれど、実際に会って、あの子か!と気づいたり。

私はもう結婚できたんだよ!ドヤ!と、本人に自覚があるにしろないにしろ、ほんの少しのマウント心が見え隠れするように、自分は男性にもうゲットされた女なんだ!自分はもう男性をゲットしたんだぞ!という輝かしい勲章にも見えました。

結婚式で久しぶりに会う、SNS上で近況を把握している友人は、名字が変わったことの証拠として指にきらりと結婚指輪を光らせ、最近繋がりはないけれど同じ学校に通っていた人に久しぶりに会うと、その座席表の名字の変化で、あ、あの子結婚したんだ、意外だよね、なんて噂したり……。名字が変わることは女子にとって、人生における一つの大きなステージアップの証であると思っていました。

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だけど私は、例えば食事のお店を予約する時、夫の名前で予約するか、自分の名前で予約するのかまず迷います。好きなお店ができて、店主さんと顔見知りになりたい時、予約の電話で、果たしてこれまでどちらの名前で予約していたっけ……と迷うこともあります。

夫がクレジットカードを発行する時、家族カードを作りたくても、名字が異なるため、後日改めて申請してくださいと言われたり。私と息子も名字が異なるため(息子の名字は夫の名字)、保育園で連絡先を交換するママさんには、なぜ息子と名字が違うのか理由をよく聞かれます。

先日お店でバッグを購入しました。イニシャルを刻印できると言われたので申し込み用紙に記入しながらふと、ああ私と夫の名字は一生交わることがないんだなと、感じました。肌寒い冬の日に1人で歩き人肌恋しくて寂しくなるような、そんな切ない気持ちになりました。

夫と息子、生まれてくる子供は皆同じ名字で、私だけ違う。家族なのに私だけ迷子になってはぐれているように思えてしまったのです。名字って、結婚指輪のように、家族であることの証の一つなんだなと気づきました。

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私は決して所有物ではないけれど、夫の「モノ」、家族の「モノ」、自分の居場所があるという感じがし、名字が一緒っていいなぁと。
一方、通っているピラティスの先生は、ご結婚前から仕事をなさっていたので、結婚によって名字が変わったので変更したけれど、久しぶりのお客様から認識されなかったり、手続き上面倒だったりと、名字が結婚後も変わらないことを羨ましいと仰ってくださいました。

また、夫とはパートナーという関係性のつもりなのに、自分が夫に従ってるみたいでイヤですよ〜今の時代に合わないですよね、とも笑っていらっしゃいました。

要するに結局、人間、ないものねだりなのかもしれません。なので私は、選択的夫婦別姓がベストなんじゃないかなと思います。私みたいな人は名字を夫と同じにし、先生のような方は別姓を取る。

これまで当たり前に夫婦は同じ名字だと思っていたけれど、婚姻届提出の際に、改めてその当たり前について考えてみる。自分の意思をはっきりさせる。名字が一緒になること、もしくは別のままであること、どちらを望むのか一度じっくり考えてみることは、人生の岐路に立つ人にとって、凄く良い人生計画の一つになるんじゃないかなと考えます。