私はできる、大丈夫、準備もしている。私はちゃんとやっている。
暗示をかけるように職場へ向かう。
上司に話を持ちかける時は、通勤時の電車で何度もシミュレーションする。

お時間よろしいでしょうか。3月の授業の件なのですが……いや、まずはおはようございますって言わなきゃ。時間があまりなかったら、どんな言葉をかければいいんだろう、お忙しいところすみませんって言った方がいいだろうか。
緊張で指先が冷たくなるのに体は熱い。この複雑な体の変化は何なんだろうと、変な汗をかきながら頭を抱え向かう職場。

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他の人にとっては大した事がないようなことでも、どうも不安に感じてしまう。でも実際職場にたどり着けば、私は堂々と話すのだ。
教壇に立って授業をするときも、上司に話すときも、しっかり相手の目を見てハキハキと話す。私はできる。私は大丈夫。私は強い。いつもいつも暗示をかけるのだ。

学生の頃からそうだった。陰口を叩かれようが、体育館シューズを投げられようが、私は弱音一つ吐かなかった。むしろ、「あんなことして何が楽しいんだろう」と聞こえるように言うのだ。

私は大丈夫。私は強い。そうやって暗示をかける。内心傷ついている。本当は怖いと思っている。怒りと恐怖で小さく震えているのだって、自分はわかっている。
でも、私は迷惑かけていいほどの人間じゃない。だって、生きているだけでお金をかけてもらって、時間も費やしてもらっている。

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先天性の病気で生まれた私は、おそらく人よりもお金をかけて生かされている。私立の学校に行かせてもらったこともそうだ。お金をかけさせた上に迷惑もかけて、それなのに大した成果を上げられないだなんて、そんな迷惑な人間必要ないと、いつか家族に捨てられるのではないかと思っていた。

仕事もそうだ。非常勤講師というのは駒だ。必要なければ切られて終わり。
なぜそう思うかは、きちんと理由がある。常勤講師を退職した後、一度無職になったからだ。必要なければ非常勤講師として働くことはできない。必要なければいらない存在。それが非常勤講師という立場だった。厄介ごとを起こそうものなら異動になり、大変な職場へ飛ばされる。経験上わかっている。
面倒な人間、弱い人間、プラスにならない人間は必要ないと思われ捨てられる。
だから私は暗示をかける。できる、強い。大丈夫。そう言い聞かせてハキハキ堂々としている私を演じ切る。

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学級が荒れて、椅子が飛んできて自分にあざが出来ても、落ち着けと自分に言い聞かせる。心の中ではパニック状態であったとしても、取り乱さない。冷静に言葉を選び、心は泣いていたってその場では何とかしようと心がけた。
そうしていれば、必要とされた。仕事ができる人だと思われた。
大丈夫。できる強い自分を演じ続けていれば、私は捨てられることはない。

家に帰っても仕事の準備をし、いろんなことを想定して、きちんとこなすことを意識した。
すると周りの人たちは私に言うのだ。「優等生だ」「サラブレッドだ」「できるからいいよね」と。初めから備わった力だと思っている。
ニコニコと笑って誤魔化すが、本当の私は出来が良いわけでもない。とても繊細で、不安で、何とかそう思われないように必死なのだ。

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HSPでもある私にとっては、周りの刺激にも弱い。心も身体も強くない。
でも言えない。必要ないと捨てられることが怖いから。

でも、いつか、本当は弱くて繊細な私をさらけだしても、私を捨てないで優しく包み込んでほしいと思う。
いや、違う。いつか、自分の弱さをさらけ出してもいいと思えるようになりたい。自分の弱さを自分で受け止め、そんな自分を周りに見せても大丈夫と思えるようになりたい。

同じ気持ちを持つ人が、「一緒だね」と微笑みながらお互いの頑張りを讃えられるステキな出会いがあるかもしれないから。