人類にとって有益であれば発酵、有害であれば腐敗と呼び方が変わるように、世の中には人間の都合で扱いが大きく変わることやものがある。
毛もまた、どこに生えるかで扱われ方や運命が大きく変わる点ではその類ではないか。
髪やまつげのように、ほしいところなら時間やお金をかけてでも大切にされる毛がある。一方で、場所が悪かっただけで「ムダ毛」として一掃される大多数の毛がある。
そして必要な毛と不要な毛とはまた別に、誰に生えるかで捉えられ方が変わる第三の勢力があると思う。眉毛だ。
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私は父方の遺伝を強く継いだ濃くて太い眉毛を持つ。私、父、祖父、遺影の曾祖父を並べると一目瞭然である。
小学校の図工で自画像を描くとき現実に近づければ近づけるほど自分の眉毛の立派さを意識しなければならず、私はこの眉毛が小学校低学年から徐々にコンプレックスとなっていった。
剃刀で細くしようとして失敗したこともあった。中学生になると美容室で整えてもらうこともあったが、自力で整えるには失敗するリスクが大きく、かといってお手入れしないとポツポツ生えてくる。抜くと不自然に細くなるか薄くなるかなので、諦めて手を付けないようにしていた。
ただでさえ愛嬌のない顔にこの眉毛が拍車をかけ、見た目からすでに「真面目で小難しそうな子」というイメージを周囲に持たれていた。
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太くて濃い眉が嫌いな私にとって細くて薄い眉は軽やかで優し気な雰囲気があり、そのような眉の子がうらやましかった。
しかし、当の本人は私を見て「しっかりした眉毛でいいな」と言ってきた。
これのどこが?!最初はその気持ちが理解できなかった。
しかしその子に話を聞くと、何もしていないのに眉を剃ったと美容室で勘違いされるほど眉が薄いらしく、その子なりのコンプレックスだったそうだ。濃いだけでなく薄いのもコンプレックスになりうるとは。
これをきっかけに自分の眉を好きになったわけではないが、以前ほど嫌いとは言い切れなくなった。
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大学生になると友達がメイクをしているのを見させてもらうことが増えた。そこで初めて眉を整えるのにも様々な道具があると知り驚いた。
眉の形や毛並みを整えるのは理解できる。しかし、わざわざ描き足したり色を上乗せしたりするとは。私なんて濃くて太くて困ってるというのに!
濃い・太いがコンプレックスの私には理解できない技法で、眉メイクは自分に縁のないことだと思った。
しかし、友達にメイクしてもらうついでに不本意ながら眉マスカラを施してもらったところ、ワントーン明るくなったことで少し柔和なイメージになったように感じた。
剃るしか手の施しようがないと思っていたのに、たったそれだけでちょっとだけ違う誰かになった気がした。
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太くて濃いこの眉は性格も含めてありのままの私を象徴し、血のつながりを感じさせるものである。それは時にアイデンティティであり、時にお守りであり、だいたいいつもコンプレックスである。そしてまた一つ。私を垢ぬけさせるポテンシャルを秘めた何か。
好きでも嫌いでもないこの眉を、これからはちょっと大事にしていきたい。
ところで、私のような眉っていつになったら流行りになるのだろうか。