私は先日まで付き合っていた人がいる。
その人との日常の中にあった当たり前だったことが今となって幸せで仕方がない出来事だったんだな、と痛感させられた。今回はそのことについて書きたいと思う。

大学への通学が始まり、私はやっと大学に通えるようになった。定期券が被っていた私たちは同じ駅にいるのに違うホームにいる、ということが何度か起きた。そんな時は、会いたいのに会えなかったね、なんてLINEを送り合っていた。何度かそんなことが続いた中でどうせなら朝会いたいね、ということになり、週に何度か朝会うようになった。

以前より30分早く起きて家を出る生活。元々1限の日は大学が遠いため普通では考えられないくらい早起きをしなければならなかった私にとって、さらに30分の早起きくらい、大した問題にならなかった。
相手は一人暮らしを始めてすぐで家に家電や調理器具等が完全に揃っているわけではなかったため、朝ごはんに何か作って持って行ったり、料理を作るのが好きな私は自分用に大学に弁当を作っていたのでついでに相手の分も作って渡したりしていた。

日々通ううちに、段々家具が揃って部屋が整っていった。一緒に買い物に行ったりもした。キッチンが一通り整うと料理させてもらうようになったり。
さらには帰り、互いの帰宅時間が合うと一緒に夕飯を食べたりすることもあった。駅で待ち合わせして一緒にスーパーでお惣菜を買って帰る。同じ家に帰る幸せを噛み締めた。

日常のささやかな瞬間に嬉しい気持ちがあふれる日々

朝、きれいに焼けたオムレツをみて満面の笑みで喜んでくれるのが本当に嬉しかった。
お弁当美味しかったよ!のLINEが本当に嬉しかった。
夜ご飯を一緒に食べて、私が家に帰る時、明日も朝来る?と聞いてくれることが本当に嬉しかった。
昨日何していたかとか、今日何を食べたか、とか大した話をしていたわけではないが、今こんなことやろうか迷っている、と相談したときは、背中を押してくれたり、対人関係に悩んでいたときにふっと心を軽くしてくれた言葉を投げかけてくれたり、一緒に過ごせる1時間にどれだけ心を支えられて生きていたんだろうか。

体力的にかなりの無理は承知のうえでも朝から好きな人に会える。30分余分に寝られるようになったはずなのに、あの頃の方が元気だった自分がいる。
寝ることよりも会える喜びの方が私を元気付けていたことに気付かされた。

あれだけの時間を共有出来る人とまた出会えるだろうか

私達は別れるという選択をすることになったが喧嘩別れをしたわけでもなく、話し合って互いに納得して決めたことだ。

いつまでも過去にすがって甘い夢に浸っているわけにはいかない。現実を、未来を、歩んでいかねばならないのだ。

学食を食べている友達の横で私が弁当を食べていると味見させてよ、なんて言ってくる友達に手料理を振る舞う(?)相手は変わったが、私のとてつもない早起きとお弁当作りはこれからも続いていく。

今後同棲でもしない限り、一週間のうちあれだけの時間を共有出来る人と出会うことはないだろう。
きっとまだしばらく思い出してしまうことはあるだろう。今回の恋愛で自分が受け取った幸せは、これからの未来に向かって自分が努力していくための糧になる。
いつかまた友人として笑い合える日が来たら、あの頃はありがとう、おかげで今私こんなに頑張れてるよ、と感謝を伝えたい。