30分前出勤しても「あ、今来たんだ」感。何のための始業時間なのか

1番遅く出勤して、1番早く帰る。
社会人2年目、今の職場は1年目で、職場内では2番目に若い、いわば新人の私。
初めての出勤の日、真面目に頑張ろうと始業15分前に職場に着いた。すると先輩や上司はすでに着替えを済ませ、仕事に取り掛かっていた。

2日目、ならばもう少し早く行ってやる気を見せようと、始業30分前に到着。だけど靴箱には全員の靴が。せめて30分前出勤を死守しようと努力をしていたが、何ヶ月か経ったある日、完全にそれを諦めた。
そもそもどうして私が「早く行かなきゃ」と思っていたのか。
新人だから?下っ端だから?早く来ている方が偉いから?
学生時代のスポーツ経験で培われた当たり前の思想に、ふと疑問を抱く。何のための始業時間なのか。この逆フレックス出勤には絶対に染まらないぞ。

ていうか新人は大変なんだぞ!
仕事に慣れていないから疲れも溜まるし、でも先輩たちに置いてけぼりにされないようについて行かないといけないし。一人暮らしもまだまだ新人だから、弁当の準備も手際が悪いし、洗濯もゴミ捨ても「ごめん誰かやっといて」ができないし。
それなのになんだ!
朝の挨拶をした時の「あ、今来たんだ」感。そうだよ、さっき起きたんだよ。
タイムカードの出勤時間が少しずつ遅くなっていく。

思い返せば小学校からずっと、時間前倒し行動の英才教育を受けていた

思い返せば小学校の時からずっとだ。チャイムギリギリに教室に入ってくる人は白い目で見られる。タイミングが悪ければ怒られる。中学の部活動もだ。
1年生は15分以上前に集合する。遅れたら罰としてランニング。時間前倒し行動の英才教育を受けた私は高校生になると、練習ギリギリに来る部活仲間に偉そうに説教をする女に。まさに黒歴史だ。
大学生になると早め行動は当たり前に。1分刻みで時給が発生していたバイトは、人手不足を理由にいつも15分前に勤務を始めていた。それが店の助けになっていると思っていたし、役に立っていてかっこいいとも思っていた。

社会人になって初めて知った。
少なくとも私の職場は、早く来て仕事をしても、給料はかわらないということを。

先週よりも3分遅く出勤してみようかな、自信たっぷりの挨拶と一緒に

考え方は人それぞれだし、人には人の都合がある。早く来てやりたい仕事の準備があるのかもしれないし、早く着く時間の電車やバスしかないのかもしれない。私だってどうしても朝に準備をしたい時には早く行くこともある。1番乗りではないけれど。
でも新人だから、下っ端だからという理由だけで早く来るのはしないでおこう。残業だって、申請をしていなければしないで帰ろう。毎日30分早く来て30分居残りしたと仮定して……考えるだけで恐ろしくなる。

新人としてわきまえて行動していたら、私の人生の時間がなくなってしまう。わきまえない新人がいたっていいのだ。というか、わきまえるとかいう言葉が存在していること自体おかしいのだ。
"わきまえる"がなくなる世界への第一歩として、私は絶対わきまえないぞ。言葉にしたら勇気が湧いてきた。
明日は月曜日。先週よりも3分遅く出勤してみようかな、自信たっぷりの挨拶と一緒に。