精神病院に入院している時、暇を持て余した私はテレビスペースでぼんやり座っていた。入院してしばらく経ってしまったので、入院前に処理したムダ毛がかなり顔を出していたころだった。
しかし暑い盛りだったので、ムダ毛を披露するのは気が進まないが、半袖短パンで過ごしていた。病院の建物は古いのでそこそこ暑いのだ。
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顔見知りの男性患者がやってきた。同じく暇を持て余していたようで、ぼんやり座っていた私は格好の話し相手になった。
私はなるべく他の患者に話しかけないようにしていた。入院するほどの状態の人に、どんな病気かもわからないまま、おいそれと話しかけるのは気が引けたし、自分もそんな元気がなかった。私に話しかけてきた男性患者はそんな配慮よりも知的好奇心や暇を潰したい欲求が勝って、隙あらばいろんな人に話しかけていた。
私との話がひと段落して、男性は私を見ながら「珍しいよね」と言った。何がだよ。若いのにこんなところに入院してみたいなこと言われるのかなと身構えたら、違った。私の手足が綺麗だと言うのだ。
いや、どこがだよ。ムダ毛も生えているというのに。そう思っていたら全然違った。こんな病院に入院しているのにリストカットの跡が一つもなく、手足を出すことができるのが珍しく、リスカ跡のない手足という意味で綺麗とのことだった。
初めての着眼点だった。綺麗という言葉が使われているものの、あまり褒められている感じはしなかった。
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私は入院にはカミソリを持ち込めないと思っていた。カミソリを本来の用途以外で使ってしまいかねないような精神状況の人が入院するだろうと思っていたので。
私が入院していた病院では、看護師さんに預けて、使うときだけ許可を得て持ち出し、必ず看護師さんに返すという方式で、カミソリを持ち込むことができた。私はつい先日それに気がついたばっかりだった。
私にムダ毛が生えても、恥ずかしいとか肌の手触りが少し悪くなるくらいで生活に支障がない。しかし男性の場合、カミソリがなかったら髭が伸び放題になり、最終的に飲食に支障をきたす。特に男性はカミソリ持ち込めなかったら困るよなと思い、観察していたら、ナースステーションでカミソリのやり取りを見かけ、カミソリを持ち込めることを知った。
しかし、手足に注目されたということは、ムダ毛に着目されてしまったに等しい。こうなったらムダ毛のことを言われる前に言ってしまおうと思った。
剃ってきたのに入院が長引いて生えてきちゃったこと、カミソリが持ち込めないと思っていたことを笑いながら話すと、そもそも男性は私の手足にムダ毛が生えていることに気がついてなかった。よく見てよと手足を差し出したが、よく見てもよくわかってもらえなかった。
私のムダ毛はびっしり産毛で医療脱毛が効きづらいタイプで、それを契約してから聞かされて非常にがっかりした。それが効きづらいなりに効いたのだろうか、何十万も払ったわけだし。
そう自分に言い聞かせつつ、自分の手足を見直した。綺麗と言われたことを付け加えても、私にはそう見えなかった。
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私が脱毛に通い始めてから、世間ではルッキズムが話題になり始めた。そして「ムダ毛が生えていても良い」、「ムダ毛処理は強制ではない」というムーブメントが始まった。それは「ムダ毛は醜いから処理すべし」と不安を煽る脱毛広告への反発も含んでいた。
私は世の中がそういう共通認識になるなら大金をはたいてまで脱毛しなければよかったと悔しく思った。
脱毛を悔いているはずなのに、ムダ毛の生えた手足を晒すのには抵抗があるし、落ち着かない。世間がどうなろうと、なんと言われようと、他でもない自分が、いちばん自分のムダ毛を気にしているのだ。
価値観はそう簡単に変わらないと自分にがっかりしつつ、落ち着かないからとりあえず次の外出ではカミソリを買って帰ってこようと思ったのであった。