愛して愛してやまないもの、それは時代とともに移り変わる。幼い頃はお気に入りのキャラクター、物心が付くと芸能人やアニメのキャラクター、あるいは特別な存在である恋人。人によるが、成人したらパートナーあるいは子ども、そして孫。最近では推し活が高齢者にも浸透し、決して若者だけのものではなくなっている。

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「昔好きだったな」、「懐かしいな」。31歳にもなると同世代からそんな声を時々耳にするとともに、自分自身もそう感じることがある。幼稚園の頃に忍たま乱太郎の上級生に初恋をしたことをきっかけに、3次元よりも2次元が好きになる傾向にあり、高校生の時も、予備校生の時も、なぜ三次元に存在しないのかと嘆き悲しむくらいに美少年系の登場人物が好きだった。

予備校生時代に恋をしたアニメのキャラクターはBLの受け役で、彼の恋人が男性であったことにほっとしたというなんとも腐女子丸出しエピソードも存在する。その影響か、ホストやメン地下の仲良しエピソードも大好きだ。

そんな中、成長する中で一度も手放さなかった推しがいる。それはサンリオキャラクターのポチャッコだ。現在はぴだんぶいのエースとしてグループを引っ張る彼は1990年代にサンリオキャラクター大賞で5連覇を果たした元絶対王者で、この偉業は未だどのキャラクターも成し遂げられていない。

その後、2002年頃から新キャラクターの登場によりグッズの販売がなくなり、ランキングは10番台にまで後退するも私を含めた熱烈なファンの応援が実り、2017年に10位に入ってからは急速に順位を伸ばし、4年に一度の閏年に誕生日を迎えた今年は第2位までランクアップをした。これは、彼の真っ直ぐな性格や顔のかわいさ、それに答えたファンの結晶だ。

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推しとの出会いは2000年、7歳の時だった。20世紀に人気を誇ったキャラクターだけにそれ以前からグッズが多く販売されており、私自身も自然と持ち物の中にその推しがいた。だが、当初はオスのキャラクターだけに特に意識はせず、寧ろ同じ仲間のメスのキャラクターであるハローキティーやキキララ(リトルツインスターズ)の方が好きだった。

転機は7歳の時にやってきた。なんとも見た目が愛らしく、手放さずにはいられない。これまで意識することのなかった推しを初めてかわいいと思った瞬間だった。その頃からみなの前でポチャッコ好きを公言するようになり、クラスの皆が知る大常識となった。クラスメイトがポチャッコのものを所持していると積極的にその場に近寄り、いつの間にか自分のものになっていたり、ポチャッコの洋服を着ている児童を追いかけて嫌がられることもあった。

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嫌がらせが好きな男子児童は「こいつの鉛筆ポチャッコの部分だけ削って捨てたい」と言うなど、とにかく私=ポチャッコ好きというイメージをクラスメイト全員にこびりつけるほどの異様な熱狂ぶりだった。2000年代初頭になると殆どグッズ展開がなくなり、レトロなキャラクターの扱いを受けていたが、それでも私は他の何にも流されずにポチャッコ好きを公言し、それは成人後も続いた。

2016年頃からは人気の回復をきっかけにグッズが増え始め、ベスト3に入り始めた最近では、購入が追いつかないほどにグッズが急増した。2019年に販売された300体限定の巨大ぬいぐるみは、開店前から並んで購入した。今やもう、サンリオの代表キャラクターで、グッズ展開がない方が珍しいまでの人気ぶりだ。一度廃れたキャラクターが停滞期を経て再び代表入りを果たした事例は珍しく、まさに推しの強さを知ることとなった。

だが、人気の回復にはグッズ展開が増えて嬉しい反面、寂しいと思う一面もある。私は7歳の頃から一度も浮気をせずに推しのことを愛していることから、新規のファンには複雑な気分もある。人気順位が高い割にはグッズの生産量が多いわけではなく、同じサンリオ商品の中でも真っ先に売り切れてしまう。また、イベントは必ずと言っていいほど抽選か予約制で、殆ど参加できていない。

グッズの展開が増えすぎてしまったことで置き場がなくなり、最近は殆ど購入できていない。部屋着や持ち物の大半を推しで揃えても、まだまだグッズは多数展開されている。グッズの購入はファンであることの証であるが、それができないもどかしさもある。

SNSを観ると私よりも沢山のグッズを購入している人がいて、沢山のイベントに出向いている人もいる。グッズの販売がなく人気が停滞していた頃もずっと愛していたのに、今では他のファンに後れをとってしまっているような気がするのだ。

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そんなポチャッコ愛は、依存的な金銭使用を防止することにも役立っている。担当ホストの「店でポチャッコのフィリコを卸してよ」という発言をやんわりと断っている。クラブで卸すと38万円ほどするが、まだ本物のポチャッコにそこまでお金をかけていない。

貯金額から考えると卸せない訳ではないが、そしたらポチャッコが私の中の№1ではなくなってしまう。置き場がなくなった挙げ句に母親からグッズ購入禁止令が出され、寝ても覚めてもポチャッコのアニメを観るか、部屋着を着るか、グッズを買い集めるかの生活をする私を、母はポチャッコ依存症と表現した。


だが、最近では、周囲を気にせず注いだ愛を異なる形で肯定できるようになってきた。確かに私は、グッズの購入量やイベントの参加率で言うと日本一ではない。しかし、注いだ愛を競い合うような試みなど存在しない。だから、推しに対する愛の表現について、その推し方は多様であり、誰もが一番だと思う権利を持っている。私は2000年から一度も浮気をせず、常に彼が頭に常駐していることをもって一番だと感じている。だから最近は、私よりもグッズの購入量が多い人やイベントへの参加率が高い人をライバルともなんとも思わず見過ごすことができている。周囲を見て較べず、嫉妬しない。私は新たな愛の形を構築したのである。