幼い頃から毛深いほうだったと思う。

さすがに私たちが小学生の頃は、まだ毛を剃るとか、剃らないとか、脱毛なんてそんなに身近ではなかった。けれど、高学年になるにつれて、だんだんと主張してくる体の毛を気にせざるを得なくなった。

同級生の中でも、個人差がもちろんあって、あの子は、濃いとか薄いとか、より強く可視化されるようになっていった。

幸か不幸か、昔から白いと言われてきた私の肌は、毛や毛穴が目立ちやすい。高校時代に先輩と毛深いんですよ〜なんて話していると(別に嫌味などではなく)、毛自体は細いし黒くないけど、密度が高いから目立っちゃうのかもね、なんて話していた。

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中学生に上がった頃からか、私たちの毛との戦いに、どこからともなくゴングが鳴った。色恋が盛んになってきたことも要因の1つだろう。

親や学校の先生から毛のあり方、剃り方なんて積極的に教わった記憶は無いけれど、体毛に関するコンプレックスが色濃く出始めた時期。

カミソリ、電動シェーバー、脱毛テープ、除毛クリーム。剃るべきかも、どこまでするべきかも分からなかった。母もそんな思春期の娘を見かねてか、少し高めのヤーマン製の脱毛器や電動シェーバーを買ってくれたりした。

ヤーマンの脱毛器は、今ではよく出回っている自宅用の、光をあてるタイプで、初めて扱うには勝手がよく分からず、怖かった。友人はカミソリで剃っていたりしたけど、肘や膝を度々切ってしまったと言っては絆創膏を貼って登校していた。刃物を扱うのは怖くて、それも諦めた。

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そんなこんなで私は比較的安全で扱いやすい電動シェーバーを長く使っていたが、カミソリなどに比べると剃った後の剃り残しやチクチク感が残りやすかったように思う。ぱっと見はそれなりに綺麗に剃れているのに、触るとチクチクする感じや、剃り残しに学校で気づくと恥ずかしくて肌を出すことに抵抗があった。

多分私は生えてくるスピードも早くて、せっかく丁寧に剃ってもツルツルとした肌は丸一日続くかどうか。終わらない毛との戦い。誰に強制されているわけでもない、好きでこんな体質になったわけでもないのに、女子の「マナー」として「エチケット」として、無言の同調圧力のようなもので、戦わされる毎日。

高校生の時にタイ留学すると、現地の女子学生のほとんどは、腕や足の毛を剃っていなかった。初めこそ恥ずかしかったが、私も次第に剃ることをやめ、自然体で過ごすようになって、肩の荷がひとつ降りたような感覚を得た。

それでも脇の毛には気を遣っているようで、私のホストシスターは定期的にピンセットで脇の毛を処理していた。私も真似して脇だけ処理するようになった。

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大学生になると毛との戦いは新たなステージに上がる(もちろんほとんどの女子が現在の処理をしていることを前提として)。アルバイトをして、自分で自由にある程度のお金を使えるようになると、学割なんて謳い文句と美意識の正当化をして、どこからともなく脱毛サロン脱毛サロンと耳にする。

脱毛キャンペーン、ずっと100円、無料、なんて言葉で引き込んで、複雑な契約を結ばせる脱毛サロン。そりゃあ、戦いがなくなるにこした事は無いけれど。最初は無料だと思っていたものが数千円、数万円になり、最終的には何十万円、何百万円ともなる借金へ早替わり。挙句の果てには、処理したい各部位の範囲は、私たちの想像以上に狭くて、やりたい部分だけ少しずつ部位を増やしていくと、結果割高になるため、全身脱毛のプランにした方がお得ですよ、なんて言われる。

大学生になった途端始まる会話のひとつが、どこの脱毛サロンが良いとか悪いとか、行ったほうがいいとか行かないほうがいいとか。でも高いよね、どうしようかなとか。
お金に余裕があればいいけれど、正直私には社会人になった今でも、恥ずかしいけれど、それほどの額をかける余裕はない。

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正直剃らないといけないルールなんてないのに、無いほうがいいとか、マナーとかエチケットとか、そんな社会で野放しにされてきた謎の美意識や正義感に、私たちはどれだけ踊らされ、大金を払わされてきたのだろう。

今では男性でも脱毛する時代。正直私はまだ生きづらい。自由にさせろと思うのに、これまで毛がない方が正義、美しいとされてきた社会で生きてきてしまったがために、ふと自分の肌を見て、剃り残しや生え変わりの毛を見ては綺麗じゃないと思ってしまう自分もまた、憎ましい。

ある程度、時と場合で割り切れるようになった今は、たまには手を抜いて、力を入れる時は入れるようにしている。
でもやっぱり、まだまだ私の戦いは終わりそうにない。