私はずーっと同じところで、たかだか二十数年しか生きてない人生のほとんどを過ごした。
小さい頃には引っ越しをしたらしいが記憶にない。高校生の時引っ越しをしたが、徒歩数分の距離だ。引っ越しというより移動。
大学もバイト先も職場も、私は実家から通った。ずっと住んでいた場所から通い続けた。
ずっとここで生きていくのだと、その時はそう思っていた。
二年前。
そんな『ふるさと』から飛び出すことになるとは思ってもいなかった。もちろん家族も、私でさえも。

◎          ◎

飛び出した先は関東。
イメージしてた都会は人、高層ビル、有名人。
でもそれは、田舎でしか生きたことがない女の子の貧相な想像でしかなくて、一部の栄えたところを除けば実はどこもあまり変わらないのだとすぐに知った。
私がまったく家から出ず、外に遊びに行かないというのもある。
二年経った今でも、ホームシックにはなったことがない。
いずれ地元に帰るつもりではあるけれど、それは一人暮らしが寂しいからではなく、私には都会にいる理由がないからだ。
友達もいないし(これを寂しいというのかもしれない)、だから『ふるさと』なんて何の感慨もない。
お盆と正月には必ず帰ってるし、まぁまだあの町を出て少ししか経ってないから。
だからよく言う「ふるさとに帰ってきてほっとする」なんてまだわからない。わからないけど……。

この間、正月休みで実家に帰った。
いつもは姉家族と一緒に車で帰るけど、今回は一人だったから新幹線と在来線を乗り継いだ。
新幹線では本を読んでた。
緑がだんだん増えてくる様子だけが視界の端にちらちら映ってた。
地元で一番大きな駅に降りて思ったこと。
人がいなくて歩きやすい!
驚くほどすいすい進めて、昔と比べて歩く速度が早くなった自分がおかしかった。

新幹線口から在来線に乗り換えて実家に。
五駅分の道のり。
本は読み終わってたからすることがなくて、ただただぼーっと窓の外を眺めてた。
その時も特別帰ってきた感慨なんてものはなく、まだ着かないのかな、今日の夜ご飯なんだろ、とかどうでもいいことを考えてた。

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あと一駅。
高い建物が無くなって自動車学校が見えたその時、ぶわっと胸の奥から湧いてきた想い。
あ、もうすぐ家だ。家に帰るんだ、って。
窓から見えてたのは、知らない人の家の畑だか庭だかよくわからないところ。
でもそこは高校生の時、大学生の時、何百回も電車から見てた景色。
朝の通勤ラッシュに潰されながら、学校帰りで疲れながら、飲み会帰りでほろ酔いしながら、幾度となく通過した景色。
代わり映えのしない、電車から見えるいつもの景色。

私はこのとき、『ふるさと』ってこういうことなのかもなと思った。
ふとしたときに心に浮かぶ何か懐かしい感じ。
景色だったりご飯だったりさよならのチャイムだったり。
その人によって『ふるさと』を感じるものは違う。
そんなことに気付けた瞬間だった。

ひたすらだらだら過ごした休みも終わり、自分の家に帰るとき。
またあの景色を電車が通った。
外は真っ暗で何にも見えなかった。

新幹線に乗って東京に着き、在来線で最寄り駅に。
窓の外をぼーっと見てた。
この景色もいつの日か私の『ふるさと』になるのかもしれない。
そんなことを思いながら。