去年の今頃だったと思う。コロナ禍がじわじわと日常を侵食していくさなか、私は大学のサークルの単独公演に向けて、感染対策に万全を期して東京まで練習に通っていた。
毎日増え続ける感染者数に怯えつつも、電車で地元から片道2時間強かけて東京まで通うのはちょっとした旅行をしているみたいで、少しだけワクワクした。

ダンスの練習は疲れるけど、友人や先輩に会えるから楽しかった

ダンスの練習は疲れるけれど、疲労よりも楽しさの方が勝っていた気がする。何故なら、普段は会えない友人や先輩方に会えるからだ。
他のメンバーと違って滅多に練習に参加出来ない分、努力の成果を先輩に見せるのは怖い反面、もし間違っていたら教えてもらえるという喜びも感じていた。そんな練習は、終電近くまで続く事もあった。

ダンスの練習が終わり、先輩方としばらく会えなくなるのが寂しくて

寒空の下、夜の21時まで続いた練習の日。電車の終電時刻は感染対策で早くなっていて、今から帰ればちょうど終電というタイミングだった。
今日の練習が終われば、先輩方とはしばらく会えない。寂しがり屋の私はそれがとても寂しくて仕方がなかった。帰りは皆で駅の構内まで歩いて、そこで解散。

「寂しいですね」
「お疲れ様でした」「ありがとうございました」を言う前に、ふと私の口から本音がこぼれた。先輩方がいる前で何を言っているんだ、と脳内反省会が始まりそうになったその時、「ホームまで送ろうか?」と一人の先輩が言った。
「俺も」ともう一人の先輩が続いた。「一人で大丈夫です」と言う勇気はもう出なかった。終電を前にして、先輩方の優しさに心が温かくなった。

元の日常に戻りつつある今でも「終電」と聞くと思い出すあの日

元の日常に戻りつつある中で、私は今も練習で東京に通っている。終電の時刻も伸びて、深夜に家に帰ってくる事も少なくなった。
それでも、終電という言葉を聞くと、あの寒い日の優しく温かな出来事を思い出す。