私は、眉は時代を映すと考えている。
10年ほど前まで細眉が主流だったかと思えば、近年太目のしっかり眉が流行したりしている。
現在30歳手前の私の高校時代や大学時代の写真を見返すと、皆こぞって細くて薄い眉で決めていた。懐かしい。
数年前の写真や映像なんかをみると、つい眉を確認してしまう。確認して、時代の流れを感じて、しみじみする。

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かくいう私にとって、眉はコンプレックスの一つである。
私はもともと毛量が多く、濃い体質だ。だから、眉の手入れという習慣がなかった小学校のときは、ふさふさと立派にはえそろった私の眉を取り上げて「まゆげ」というあだ名をつけてきた子がいた。それ以来、当時我が小学校で流行していた前髪をあげおでこを出すちょんまげヘアが、こわくて出来なくなってしまった。

そのあだ名をつけてきた子は今思えば、地眉が細く薄かった。年齢を重ね、かつてほど細くて薄い眉が流行りのスタイルではなくなった今、彼女はどうしているのだろう。
きっと彼女は毎日眉を書くのに必死になっていることだろう。

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流行は移ろいが激しい。右にいったかと思えば、次はあっけなく真反対の左に向かう。目新しかったものが、いつのまにか自分の中にも取り入れられていて、乗るつもりがなくても気づいたら乗っている、それが流行りだ。

そう思うと、世間の基準とは、変化が激しく、不安定でこわいものだなと思う。

脱毛サロンの広告ってすごく多いなと思う。インスタを開けば、脱毛サロンのPRや広告のリールがしょっちゅう流れてくるのは、私だけじゃないはずだ。
今は毛がないことが美しいという基準があり、それに基づいて、脱毛サロンに通っている人が大半だと思う。だがしかし、いつかのタイミングで、「毛があったほうがいい」という真反対の概念が流行し始めたらどうなるのだろう。今度は、脱毛サロンに代わって、植毛サロンが流行するのだろうか。

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いずれにせよ、流行に踊らされるのは、無意識のうちに他人からの見られ方というものを、とんでもなく気にしているからだと思う。そしてまた、他人からの見られ方に縛られない人というのは、どれくらいいるのだろうか。
私にとってのメイクの原動力は、他人に変と思われないようにという気持ちだ。私にとって、メイクは義務であり、遊びではない。かといって、ノーメイクという選択をできない私は、まさに他人からの見られ方を気にしているのだと思う。

しかしながら、みんなやっているから私もと、大学時代から引き始めたアイラインも、ここ数年すっかり引くのをやめた。それは、流行り廃りではなく、自分には必要ないかもと考え直した結果だった。
そう思うと私も少しずつ、他人からの見られ方と、上手い距離をとれるようになってきたのかもしれない。

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だけどまだ、私は眉の手入れをやめられない。
そしてまた、どんな眉になりたいのか、どんな眉が好みなのか、どんな眉を目指しているのかと尋ねられても、私はちっとも答えられない。
私の眉の手入れの目標はただ一つ。濃いと言われない眉にする。ただ、それだけだ。
小学生の私に投げられたあの言葉は、20年経った今の私にも、しっかり引き継がれている。

だけど最近、前髪がのびてきたらさっと分け、眉とおでこがしっかり出るスタイルがとれるようになった。前髪死守がスローガンだったかつてからは、考えられない変化だ。

他人からの見られ方。そして、それとの程よい距離感。
行ったり来たりしながらも、私の探索はまだまだ続く。