最近、ドライブに出かけた帰りのことだ。

「なんか今日はすごく充実した一日だった気がする。一日、時間が経つのがすごく早い」と、車の時計を見たら、まだ午後の五時になったばかりだった。

時間が経つのがすごく早く感じるのも、当たり前だ。窓の外は、もうすっかり日が落ちて、真っ暗になっていた。こういう、外が真っ暗になった中、それも夜も遅くなった時間なんかに、一人で車を走らせるようなことは、私にはなかなか怖い。

車通りも多く、お店や人家の多い、大きな国道ならそんなこともないのだが、ちょっと山に入ったり、日が落ちると一気に人の気配のなくなる工場街の中の細い道を通ったりするときは、いつも結構ドキドキして通っている。

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色々、考え過ぎてしまう性格のせいかもしれない。
ニュースで見た、赤信号で止まっている車のドアを、無理やり開けてくる強盗のことが、ちらっと頭によぎってくる。それで、よし、内側から鍵は掛けておこう……と鍵を掛けると、今度は、そのときバックミラーには、青白い顔をした髪の長い女の姿が映っていて……とか考え始めて、うわあ……逃げ場がないな……とゾッとし出す。

考え過ぎてしまう……のもそれはそれとして、私は、そもそもが大のビビりなのだ。

特に、人間が起こすものでも、ユウレイなり妖怪なり、人間ではないものが起こすものでも、怖い!と強烈に思わされて、急激にアプローチされるようなシーンには、ものすごく弱いかもしれない。

鍵のロックを意識するだとか、はたまた、盛り塩をしておくだとか(よく分からないけれど)、対策をすることはできても、狙われてしまったらもう最後のように思ってしまう。
いっそ、空気みたいな透明人間になれたら、怖い思いも何もせずに生きていけるのかなあ……と、そうして車を走らせながら、思うことがある。

そうして、真っ暗な道から、コンビニや人家の明かりが見えてきて、人が起きて生活している気配を感じ始めると、途端に、ものすごくホッとして安心したりするのだ。

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そんなある日、今度は仕事を終えて夜に一人、車を走らせて家に帰ったら、父が家のガレージの整理をしていた。

ガレージには、工具から、私と妹の自転車から、夏の間だけ使うビーチパラソルまで、家中の「常に側にないと困るほど使うわけじゃないけど、全く使わないというものでもない。けれど、なければないで困るもの」が、何でも詰め込み放題のようになっているのだ。

私の自転車は、母方の祖父が、私が中学校に入学するお祝いに買ってくれたものだ。
だが、車の免許を取ってから、自転車に乗る機会もめっきり減ってしまった。
全く乗らないというわけでもないのだが……せっかく、いいものを買ってもらっていたことでもある。少しもったいないように思っていた。

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両親も完全に、車が移動手段になっているし、今は電車通勤の妹が唯一、日常的に自転車を使っているだけになっている。

そのとき、父がまさにその妹のことを口にして、言った。

「お前の自転車を、妹に使わせてやってくれ」
「え?」

思わず聞き返した私に、父は言った。

「お前の自転車の方が外に出しやすい位置にあるから、その自転車を使った方が、妹が毎日便利だろう」

確かに、それはその通りだ。……が、私はそのとき、猛烈な怒りが湧いてきた。そして、気付けば声を荒らげて父に反論していた。

「あの自転車は、私が買ってもらった、私のものです!それを私に無断で、勝手に使い道を決めないでください!私だって全く使ってないわけじゃないんだ!使わせてくれ、の前に、一言私に相談が必要なことでしょう!私なら何でも許してくれると思ってる?!好き勝手に甘えていいとでも思ってるの?!」

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……いい歳して、親相手に何をやっているんだろうな、ということが、脳裏にちらっと浮かぶ。ああ、情けないなあということを思い……けれど、ああ、またか、ということが悲しくなってくる。

どうして、家の中での私の立ち位置って、扱いって、いつもこうなんだろう。
それこそ、本当に透明人間みたいだ。
私って存在にも、大事にしているものがあって、好きなことがあって、生活があって、嫌いなことも、怖いこともある。

それが、全く「ないもの」のように、スルーされてしまう。妹より母親より、私はずっと透明なもののようにすら、感じてしまう。
こういうとき、たまらなく、ああ、ひとりぼっちだなあと思う。
それは、夜の真っ暗闇の中、人気のない道を一人、車で走らせながら、強盗やユウレイに怯えているときより、ずっと怖い。