必ずしも、「好きな本」イコール「今の『私』を作った本」とは限らない。
好きな本とは、その人が元々持つ感性に響く本であることがほとんどで、読了後の「共感」はあっても「変化」はない、ということも大いにあり得るからだ。
しかし、これから私が「今の『私』を作った本」として紹介する『TSUGUMI』は、私にとってものすごく好きな本とも言える、稀有な1冊である。
『TSUGUMI』は、『キッチン』で有名な吉本ばななさんによる初期の作品だ。映画化もされたことがあるらしいが、『キッチン』ほど知名度は高くないだろう。
かくいう私も、中3の夏に『キッチン』を読んで吉本ばななさんに心酔していなければ、『TSUGUMI』を手に取ることはなかったと思う。
ストーリーそのものに惹かれたかと問われると、首を傾げてしまう物語
この小説は、タイトルと同じ「つぐみ」という名前の少女の物語だが、語り手は彼女ではなく、つぐみの1歳年上の従姉妹・まりあが担っている。
舞台は海辺の町にある旅館。まりあは旅館で働く母と旅館の離れに住み、旅館の娘であるつぐみや陽子(つぐみの姉)とともに育った。
大学進学などを機に母と東京へ移ったまりあが、旅館が廃業する話を聞き、夏休みに「最後の帰省」をするところから物語が始まる。
まりあは再会したつぐみとポチ(旅館の裏の家で飼われている犬)の散歩に出かけた際、近くに建設予定のホテルのオーナーの息子・恭一と出会う。まりあたちと恭一は急速に仲良くなり、やがてつぐみと恭一は恋仲となる。
しかし、ホテルの御曹司である恭一を恨む不良少年たちによって、恭一の飼い犬・権五郎が攫われるという事件が起きてしまう。結局権五郎は見つからず、怒りに震えたつぐみは、不良少年たちを閉じこめるための大きな穴を掘った。
恭一のため1人で復讐をやり遂げたつぐみだったが、元来病弱な彼女の体力は限界を超えており、入院を余儀なくされる。
最終的につぐみの体は回復するが、生死を彷徨った彼女はまりあに遺書のような手紙を残していた。最後にその手紙の内容が記載されて、物語は幕を閉じる。
以上が『TSUGUMI』の大まかなあらすじだ。
省略してしまった部分も多いが、物語の随所には素敵な言葉がたくさん散りばめられているし、病弱なつぐみを支える周りの登場人物たちは、泣きたくなるほど優しい。
後半では、つぐみの恭一に対する命懸けの愛情を見ることができ、その内的なパワーに驚かされるが、ストーリーそのものに惹かれたのかと問われると、少し首を傾げてしまう。
主人公のつぐみが放った言葉に、私は殴られたような衝撃を受けた
ではこの物語の何が私を惹きつけ、変えたのか。
それは他でもない、つぐみのキャラクターである。
語り手ではないがこの物語の主人公というべき山本つぐみは、生まれつき病弱で入院を繰り返してきた美少女だが、甘やかされて育ったため、生意気で口が悪い。
その上つぐみは外面がよく、身内と恭一以外には行儀良く振る舞うため、読者を更にイラッとさせる。
けれども、つぐみが「いやな奴には、いやな奴なりの哲学があるんだ」と前置きをしてから放つ以下のセリフに、私は殴られたような衝撃を受けた。
「食うものが本当になくなった時、あたしは平気でポチを殺して食えるような奴になりたい。もちろん、あとでそっと泣いたり、みんなのためにありがとう、ごめんねと墓を作ってやったり、骨のひとかけらをペンダントにしてずっと持ってたり、そんな半端な奴のことじゃなくて、できることなら後悔も、良心の呵責もなく、本当に平然として『ポチはうまかった』と言って笑えるような奴になりたい」
誤解のないように言っておくが、私はつぐみのこのセリフに「共感」したわけではない。
けれど私は、彼女の言葉の中にポチへの「敬意」を感じ取った。
どうせ食べてしまうのなら、中途半端な同情を寄せるのではなく、「うまかった」と笑顔で言ってあげることが、ポチへの礼儀なのではないか。
すごく極端な例だが、つぐみはそう考えたのだと思う。
たとえそれで、彼女自身が「薄情な奴」扱いをされるのだとしても。
彼女の敬意の心に触れた私は、そういう生き方をしたいと思うように
つぐみはおそらく、自分が他人からどう思われるかということよりも、自分が他者へ向ける敬意を大切にしている。
それに気付いた私は、彼女に対し崇拝にも似た感情を抱かずにはいられなかった。
私自身も中2の夏頃までは、人からどう思われるかを気にするのは美しくない、と思っている節があった。でもそれはつぐみとは違い、ただ自尊心が高かっただけなのだと思う。
しかしほどなくして、周囲の優しさに気付けるようになった中2の終わり頃からは、むしろ人からどう思われるかを全く気にしないのも傲慢だ、と思うようになった。
私が『TSUGUMI』を読んだのは高校入学前の春だったから、つぐみのキャラクターに憧れるのは少し逆戻りしているように思われるかもしれない。
でもそうではない。
自分が他人からどう見られるかをちゃんと意識して行動しながらも、その意識を上回るくらいの「敬意」を他者に払う。
『TSUGUMI』を読んで初めて、私はそういう生き方をしたいと強く思うようになった。
知らず知らずのうちに今の「私」を作ってくれた。そういう作品
あれから7年が経とうとしている今。
さすがに犬を食べたりはしていないが(これからも可能な限りそのようなことはしたくない)、今日までの自分を思い返して、ひとつ発見したことがある。
私は、敬語の使い方や礼儀について、褒められたことはあっても、注意されたことや相手を不快にさせたこと(あくまで私に推察できた範囲では、ということになるが)が一度もない。
当たり前と言えば当たり前だし、たいして自慢にもならないことだけれど、これは他者への敬意を常に忘れないという意識の賜物なのではないだろうか。
口の悪いつぐみ自身とは対照的だが、つぐみというキャラクターは、知らず知らずのうちに今の「私」を作ってくれた。
私にとって『TSUGUMI』は、そういう作品である