父はクレーマーだった。基本的に「お客様は神様」の思想で、外で店員さんに怒鳴ることはよくあった。そんな父が恥ずかしく、私たち家族は父のクレームが始まると、他人のふりをしていた。
父のDVがきっかけで両親は離婚し、現在は父とは会っていない。私は父を反面教師として、店員さんにクレームをつけることもなく穏やかに生きている。
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そんな私だったが、選択を迫られるときが来た。ファミレスで異物混入事件が起こったのだ。
その日私は、家に一人だった。自分のためだけに昼食を作るのも億劫で、本を数冊鞄に詰め込み、ファミレスに行った。ドリンクバーでも頼んで、ゆっくり読書でもしよう、と。
ちょっと贅沢に、食後のデザートにチョコレートパフェを頼んだ。アイスにプリンにブラウニーも乗っており、私の大好きなものばかり。夢中で食べ進めた。
中盤に差し掛かり、バナナを口に入れたときだった。バナナとは別のものも一緒に口に入れたようだった。しかもそれがどうも噛み切れない。飲み込める大きさでもない。舌触りはつるつるしていて、食べ物ではないようだった。不思議に思い、指でそれを口から取り出した。
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チョコレートがついているものの、それは透明なビニール片のようだった。何度も眺める。スプーンで触ってみる。だが私の中の答えは変わらない。間違いなくビニール片だ。そう、俗に言う異物混入が起こったのだ。
そのとき、いくつかの場面が脳内に浮かんだ。
まずはSNSの投稿。商品と混入していたものを一緒に写真に収め、店名と共にSNS上に晒しあげる。店側が炎上することもあれば、事実無根として投稿者が炎上することもある。そういった例を見たのは一つや二つではない。
次にニュースの映像。防犯カメラに映る、自身の髪を抜いてラーメンに入れる男性の姿。程なくして店員さんを呼びつけ、「無料にしろ」と怒鳴る。
そんな場面が走馬灯のように浮かび、同時に怖くなった。決して大事にしたい訳ではなかった。人間誰しも失敗はある。パフェを作っているときにうっかり入ってしまったのだろう。幸い私は小さな子供という訳でもなく、飲み込んでしまった訳でもなかった。
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大事にしたくないという気持ちを優先して、とりあえず何も言わないことにした。気持ちを切り替えて、鞄から本を取り出して読み始めた。
しかし読書に集中することができなかった。目で文字を追っていても、パフェのグラスがちらちらと視界に入る。その度に、口の中で違和感を感じたときの不快感を思い出してしまう。このままでは自分の精神衛生上良くない。私はゆっくりしたくて来たのだ。それに今後同じようなミスを起こさないためにも、お店に伝えなくてはならない。
そう思い直したものの、ボタンを押して店員さんを呼び出すのは気が引けた。なんだかクレーマーっぽく思えたし、忙しいランチの時間帯だった。そこで注文用タブレットの「ご要望」ボタンをタッチしてみた。するとそこには「食器を下げてください」というものがあった。これだ、と思った。これなら店員さんの手が空いたときに来てくれる、と。
「食器を下げてください」をタッチしてから少しして、店員さんがやって来た。言おうと思うと、胸がドキドキした。
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「すみません。ビニールのようなものが入っていて」
意を決して、実物を指差して言った。店員さんは、はっと顔色を変えた。
「申し訳ございません。ただ今責任者を呼んで参ります」
私はすかさず首を振った。
「いえ、いいんです。ただ、気をつけていただければと思って」
店員さんは深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。大変申し訳ありませんでした」
そう言って食器を下げて戻っていった。その後ろ姿を見て、私はほっとしていた。
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決して大事にしたい訳ではなく、かといって軽く扱ってほしい訳でもない。そんな私の気持ちを汲んでくれた店員さんの丁寧な対応に安心した。きっとこの店では、もう同じようなミスは起こらないだろう。
父を反面教師にして、店員さんに文句を言わないことが美徳と思っていた。が、何も言わないことが正しい訳ではない。言葉にすること、そしてそれと同じくらい、その伝え方も大切だと気づかされた。
そんなことを思いながらゆったり読書をする、そんな午後だった。