「死にたいって、生きたいってこと」。その台詞に涙が出た

私が「雨の降る日は学校に行かない」という本に出会ったのは、YouTubeの朗読動画がきっかけだった。この本は相沢沙呼さんの短編小説で、動画ではその中の「死にたいノート」がキャンペーンの一環として朗読されていた。
好きな女性声優の方が朗読しているというだけで動画を観始めたのだが、いつの間にか主人公に共感していったことを覚えている。
動画は前半部分だけだったため、続きが気になった私は書店で購入。実際に本を手にして読むとさらに、感情移入してしまい、あっという間に読み終えてしまった。

この「死にたいノート」の主人公は、クラスで孤立してしまっている女子中学生、藤崎涼だ。彼女の秘密は、ノートにひっそりと遺書を書いていること。特にこれといった理由があるわけではなく、なんとなく死にたい、という理由で書いているだけ。
しかし、不注意が元でノートを人気者の河田さんに拾われてしまう。優しい河田さんは、主人公と友人のあっちゃんを巻き込み、ノートの持ち主を探し始める。次第に仲良くなっていく三人だが、自分のものだと打ち明けられない主人公は、持ち主を探すことをやめようと提案する。そこで二人は、思いもよらぬ優しい言葉をかける。

「きっと、死にたいなんて思ってないよ。この子は助けて欲しいんだよ」 
「死にたいって、生きたいってことだよ」
物語終盤の河田さんとあっちゃんの台詞を読んだ私は、自然と涙を流していた。

等身大の中学生の姿に共感。あの頃出会えていたら

私が主人公と同じように中学生だった頃、クラスに友達はいなかった。陰口を言われているのではないか、と毎日気がかりだった。度々布団の中で泣いていた。
死にたいとすら思ったり、実際に手首に傷をつけてみたりしたこともある。死にたいノート、つまり遺書のようなものを書きこそはしなかったけれど、本質は同じだったのだろう。だからこそ、作中の河田さんやあっちゃんが私の苦しみを理解してくれたと感じ、涙となって溢れてしまった。

この本には、そんな「死にたいノート」以外にも、保健室登校の二人の女子生徒の物語、スカートの長さでカーストが分かれてしまうクラスの女子中学生の物語などが収録されており、どれをとっても等身大の中学生の姿に共感してしまう。

私がこの本を知ったのは高校生になってから。高校生の私は、暗かった中学時代の名残はあれど、数人の友人に恵まれ、程よく充実した高校生活を送っていた。 
だからこそ、 もしこの本に中学生当時出会えていたら、感想はまた違ったのだろうかと考える。きっと、同じ中学生としてさらに感情移入していたことは間違いない。
そう思うと、どうして早く出会えていなかったのかと悔やまれる。 
しかし、この本との出会いが私に影響を与えたことには変わりはない。

作品に出会うタイミングも運命。人生に影響を与えていく

死にたいと言う分、本当は生きたいんだ。
当時はそんなこと考えられなかったけれど。乗り越えた今ならばわかる。生きたかった。死にたいとはとうてい思えないくらいに、幸せになりたかった。そんなことを願う中学生だった。
当時は孤独を感じていたけれど、今の私が理解してあげられたから、記憶の中の過去の私が救われた。
これは私の持論なのだが、本などの作品には出会うべきタイミングがある。そしてどの本も然るべきときに出会って、私の人生に影響を与えてゆくものだと。だからきっと、私が高校生でたまたま動画がきっかけで「雨の降る日は学校に行かない」という本に出会ったのも、そういう運命だったのだ。

だから、この本は辛い記憶を呼び起こすものではなくて。この本を読むことで自分の中学時代を懐かしむのだ。笑って流せるくらいには、大人になったし、この本がそういう自分に変えてくれたから。