パートナーがいるのに男性と食事へ。正直に話すことだけが善ではない
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今のパートナーと付き合ってから、大きな喧嘩も時々するけれど、本当に1度このまま別れることになるかもしれないと思った事件があった。
友人数人と旅行の計画を立てた。社会人になってから久しぶりの女子旅に心が躍った。計3人で、1人は初日の日中は都合がつかず、夜に合流することになった。
そして残った私と友人の2人で、ひと足先に遊ぼうということになった。女子旅らしく、映えスポットに行って写真を撮り合ったり、お酒を片手に海岸で黄昏れたり。そろそろご飯を食べて、もう1人の友人との合流場所に向かおうか、と駅へと繋がる商店街を歩いた。沢山ある飲食店を見ながら、ご飯はどこで何を食べようか、なんて話していた。
すると突然、男性2人組に話しかけられた。これは、ナンパか。初めての経験に戸惑う私。
これからご飯を食べようと思ってるんだけど、一緒にどうかという誘いだった。
私にはパートナーがいる。もちろん、私はパートナーに申し訳ないから行きたくない。でも、現在フリーの友人はどうだろう、と考えてしまった。ノリが良い友人は、比較的楽しそうに彼らと話しているし、嫌そうでは無かった。友人にとっては、良い出会いになるかもしれないとも思うと、私は行きたくない、と口に出せなかった。
この時、パートナーが居るから行けないと断るべきだった。でも初めてのことへの戸惑い、友人への思い、そして、心のどこかで初めてナンパをされたということへの優越感みたいなものも無かったとは言えない。
ご飯へ行く流れを止めることが私には出来ず、お店探しが始まった。
名前を聞かれて、私は受け入れてないと言わんばかりに、名字を答えた。(名字の方が距離があると思ったから) 何で名字なのと指摘されながらも、それで通した。私なりの抵抗。
そして、ご飯を食べて、電車の時間が迫ってきたこともあり、別れを告げようとすると、このあと彼らは別荘かどこかで、花火をするとかで、良かったら来てよなんて言っていた。
LINE交換は友人だけしてもらえばいっかと思っていたら、こういう時に限って、友人のスマホの充電が切れていて、私が交換する羽目になった。
彼らと別れて、もうひとりの友人と合流し、さっきナンパされたんだよ、と話をした。私は一緒にいた友人に彼らのLINEを教えて、私は行かないけど行ってきてもいいよと伝えたけど、今は私たちといるし、と断っていた。
女友達と話している分には、楽しい時間だったのだけど、知らない男の人とご飯に行ってしまったことへの罪悪感が段々と私の中で膨れ上がってきた。パートナーに言った方が良いか。罪悪感はあるけれど、やましいことは何もしていない自負があり、その時は、正直に話した方がいい、隠し事をしない方が善だと思い込んだ。ちなみに、友人や職場の同僚に話した方がいいか相談すると、みんな言わないほうがいいと言っていた。
今となっては、ただ自分が罪悪感から解放されたかっただけかもしれない。ずっと隠し通していけるか不安だったから。
そして、旅行から帰って最初の彼とのデートで、大したことではないかもしれないけど、と前置きした上で話した。
すると、「そういうチャラチャラしたやつが1番嫌い」と彼の口から放たれた言葉は、グッサリと胸に突き刺さった。
その日は、もう一緒には居られない、ちょっと距離を置こうと言われた。別れ話こそその時は無かったけれど、これは終わったなと私は絶望の縁。ご飯に行ってしまった後悔と、伝えてしまった後悔と、必要のない前置きへの後悔と、そこまで怒る?という苛立ちと。
結局、前のようには直ぐには戻れないと前置きがあった上で、1週間か2週間ほどで、少しずつ会う頻度を増やしていき、なんとか繋ぎ止めて、今に至る。
今では、たまに冗談であの事件か、くらいだけど、あの時は本当に生きた心地がしなかった。
隠し事は良くない、やましいことは無いのだから言ったほうがいいという気持ちも本当にあった。きっとそれが半分、残り半分は自分が楽になりたかったからだ。
身をもって知った、隠しておいたほうが良いこともある、言わなくていいこともある、全て言うことが必ずしも善ではないということ。
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