正月にもらうお年玉、社会人になっていただいたボーナス。私はそれを使ったことがない。
それらの行動が一般的なのかと自問自答してみれば、その答えはノーだ。
しかし私は無理して使うことを我慢しているわけではない。
新しいものが出たからといってすぐに買わなければという衝動に駆られることがない。
加えて私はお金を貯めるという行為がおそらく好きな方だと思っている。
パズルのピースのようにピッタリ組み合わさった結果、一般とはかけ離れた生活を苦もなく続ける私が出来上がった。
ある意味お金に執着していると言える。
私はお金がなくなるのが怖いのだ。

◎          ◎

29歳、貯金、中央値。
私が月に1回は調べる検索ワード。貯金専用口座の残高が増える日だ。
決して給料が多いわけではない。
月の貯金額も当然微々たるもののため、口座へと移し替えても目を見張る変化はない。
それでも、その微々たる変化が私は嬉しかったりする。
そしてほんとかどうかもわからない同年代の貯金額をネットで検索し悦に浸るのだ。

気持ち悪いと思われるが私は昔からお金が貯まるのが好きだった。
紙の通帳時代は、過去履歴を遡って口座の額が増加する道のりを見返すことが好きだった。
お金が足りないという話を聞くたびに、分からないなあと思いつつ笑顔で相槌を打つ。
年金がもう貰えないかもしれない、そういったニュースが飛び交うと確かにそうだなと思いはするが、老後のためにお金を貯めているかと言われればイエスとも言い難い。
貯めること、それが私のお金を貯めることの最大の目的だ。

◎          ◎

お金が貯まっていいじゃないかと、そう思われるかもしれない。
しかし、お金を貯めたいという執着心は時として度を越すことも否めない。
私は毎月給料が入るとお金を分類し、その中で自由にやりくりするスタイルで家計を管理している。食費やお小遣いといった分類のお金も1ヶ月分として月初に振り分けるため、1ヶ月分の予算を管理しながらお金を使う。お金を貯めることに極端な執着がある私ではあるが、食費については心の栄養に直結するため惜しまないと決めている。
問題はお小遣いの使い道だ。

冒頭に記載をしている通り、私には物欲がない。
厳密に言えば欲しいなと思うことはあっても購買意欲へと繋がらないのだ。
そこには、ないと生活に支障が出る物だけを購入するという基準が存在するからだ。その基準を持ってすると、多くの物に溢れたこの世界において、かわいいな、欲しいなと思う心は無惨にも切り捨てられるのである。
物を入手した喜びとお金を失ったダメージを比較したときに生まれる異様なまでのお金を使用する抵抗感に、さすがの私も時々うんざりする。
使っていいお金なのにどうして私はお金を使えないのだろう。
自分のことにもかかわらず、自分を制御できない。
そして、周りの人間に相談できる内容でないことは、私が一番よくわかっている。

◎          ◎

自由なお金とはいえ、減るという現実への恐怖。
一方で、お金を使用しないことで問われる人生の有意義度合い。
今の所せめぎ合う2つの感情に折り合いをつけるための解決策は見えない。
そもそも仕事完遂や資格の取得による達成感で人生の活力を見出してきた私だ。
現在の私の持つ価値観が払拭されるほどの何かが起きない限り、別の扉が見えてくることはないのだろうと半ば諦めた。

繰り返しにはなるが、私自身の感覚で言えばこの悩みはマイノリティだろう。
だからこそ、不特定多数の目に触れるところへ、私は発信する。
相反する考えの人への新たな視点獲得、同じ悩みを持つ人の孤独感の払拭。
常識を変えるメッセージボトルとして、人生と切り離せないお金に対する私の悩みをかがみよかがみという海へと流す。