書き続けたエッセイは、一番近くにいる自分が私を認める対話の時間に

2024年、『毎週1本エッセイを書く』と目標を決め、計55本を書き上げた。毎日のように胸の内と対話した結果、自分の好きなところが増えた。端的に言えば、「漠然とした不安」を抱える機会が減った。今の私が好きだ。理想的。この状態を忘れないために記録する。
糸が絡まりだしたのは、大学生の頃だろうか。高校卒業後に上京した私は、自分がいかに井の中の蛙であったかを知る。お山の大将としておだてられた時間はありがたく、人格が形成される若い頃に心のどこかを満たせたことに感謝している。しかし、東京という実態が掴めないある空間に馴染むことはできないまま、上京して10年を迎える。
大学を卒業後、コロナウイルスと共に社会に飛び出した私は、あっという間に消耗し、社会から弾き飛ばされることになった。街にあふれる「新社会人」の文字に期待をふくらませたのも一瞬。赤子の手をひねるように生気を奪われ、早期退職者の烙印を押された。
この頃から、頭の中には薄いモヤのようなものがかかる日が増えた。就職、退職、無職。目まぐるしく変化する環境に追いつくのに精一杯だったのだろうが、半年後に再就職してからも、症状は治らなかった。
脳内を支配していたのは、「漠然とした不安」というやつだろう。やつらが脳の容量を食うことにより、パフォーマンスが低下している自覚はあった。しかし、人の脳は電化製品ではない。最新機種に乗り換えて、「速っ!」とはできない。
不安のタネは、時にまだ見ぬ未来であり、時に知人との料理スキルの差であった。今思えば、悩んだって仕方がないことを、うんうんうんうんとこねくり回していた。そうしていないと、「今の私に満足している」なんて勘違いされてしまう。誰に?頭の中の「誰か」に。
頭のなかは、いつも自己否定でいっぱいだった。一生晴れることのない霧の中にいる時間は、私に安心をもたらした。
それから数年が経ち、今年、エッセイを書きまくった。行動に意味はなく、結果として続けられることがこれだけだった、というだけ。書く行為を続けて得たことは、物事の本質が見えるようになったこと。
この1年、徹底的に自分の話を聞いてきた。対話を重ねて、なぜそう思うのか、他の物事に転用できる学びはあるか、徹底的に話をしてきた。そのおかげか、自分の悩みや他人がこぼす愚痴の芯の部分をつかまえるのが上手になったのではないかと感じている。
どこが幹で、どこが枝葉かを区別して考えられるようになったおかげで、モヤが生まれそうになった時に、対処すべき問題なのか、そうでないのかを判断できるようになった。残存する悩みはあれど、これは解決できる悩みではない、すべき問題ではないと割り切れるようになった。
大方の悩みがそうであったように、ノロノロ日々をやり過ごしていくうちに、環境や状況が他者の手によって変わることが往々にしてある。その結果、自分がたいしたエネルギーを使わなかったとしても問題が解決することだってあるし、気が向かない悩みはしばし蓋をしてみたり、目を背けてみたりしたっていい、そう思えるようになったのだった。
以前の私は、現状に満足していないことを誰かにアピールするのに忙しかった。誰に、何を見ていてほしかったのだろう。すべてを理解し、このうえなく共感できる人間と対話を重ねるうちに、肩の力が抜けた。1番近くにいる人間が私のことを認めてくれるなら、他の誰が認めてくれなくたっていい。
こうして、四六時中かかっていた霧は晴れつつある。今の私が好きだ。傍から見ても、健康的だと思う。エッセイを書くことは、私なりの健康法なのかもしれない。再びモヤがかかる日があれば、私はまた、書くのだと思う。
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