「辛くなったら電話しなさい」ぐらんぱの言葉は私のお守りだった

祖父が亡くなって1年が経った。
私は、祖父にとってたった1人の孫だったので、それはもう可愛がられてきた。
そう自覚を持てるくらい、愛をもらってきた。
祖父は外資系企業の人事部で、新入社員などの教育をしていたらしい。
亡くなった後、祖母から社内報の表紙を飾る若かりし祖父を見せてもらったことがある。
大勢の新入社員の前で説明している様子の祖父。
人を育て、導くのが得意だっただろうなと思うし、祖父に合ってる仕事だなと孫目線でも感じる。
また、プライベートでは毎朝欠かさずジョギングをしたり、週末にはテニスを楽しんでいたらしい。
近所の子供たちにテニスを教えることもあったと祖母から聞いた。
きっと人に教えることも好きだったのかなと思う。
そんな勤勉・真面目という一言がぴったりの我が祖父。
孫に対して甘々だったかというと、記憶の中の祖父はちゃんと祖父という人間そのものだった。
家族旅行中、私が夕飯時にゲームをしようとすると、「ももちゃん、今はするべきではないよ」と叱られたことを今でも思い出す。
ちゃんと、孫であっても人として育ててくれた人だった。
それでもたった1人の孫なので、電話をするたびに「父や母と意見が合わなくて辛いときがあったら、電話しなさい」と言ってくれたり、祖父母宅に行った際は「お湯出しといたから、手洗いなさい」と洗面所まで連れて行ってくれた。
私が英語を学びたいと言えば、祖父が所持している英語の本を宅配便で送ってくれた。
全ての蔵書に祖父のサインが記されていたのがオシャレだな、と思ったのも覚えている。
小中学生の頃は、祖父が字を書き、祖母が水彩画を描いた合作の絵葉書を毎月送ってくれた。
その時々で起こったことを、祖父の目線で書いた手紙やエッセイのようなものだった。
「最近、軒先に小鳥が来ているよ」
「余震がこちらもあるから、ばーばが毎回慌てて大変だよ」
「中学生になったね。どんな部活をするのかな?」
今振り返れば、それは全部愛だった。
祖父の認知症が始まっていたとき、実は祖父と同じ会社にいた人とお話しする機会があった。
本当にたまたまの出会いで、私の名字が珍しいので気づいたらしい。
「あぁ、覚えていますよ!厳しく指導いただきました。そうかぁ、お孫さんかぁ」とその方はしみじみと嬉しそうにしていた。
私が生まれる前の祖父を知っている人と話して、それでも祖父はちゃんと祖父だったのだなと思った。
人に厳しく、自分にも厳しく。
私、ぐらんぱと同じように新しいことを学ぶことが好きだよ。
最近は編み物をしてるんだよ。
今度、ぐらんぱのために何か編むね。
言葉を使うことが好きだよ。
きっとぐらんぱとばーばが言葉を大事に使ってくれていたからだね。
2025年はちゃんと言葉と向き合おうとしているよ。
ぐらんぱが愛用していたフィルムカメラ、形見として貰ったよ。
最近、撮り終わったフィルムを現像してみたら、ちゃんと綺麗に撮れていたよ。
きっとぐらんぱも同じようにファインダーを覗いて、家族のことを撮っていたんだよね。
小さい頃にいつでも伝えてくれていた「辛くなったら電話しなさい」って言葉、きっと私にとってのお守りだったんだ。
ずっと、ぐらんぱがいたら大丈夫なんだって思えてたんだ。
きっと、たった1人の孫を見守ってくれているだろうから、これからも私にとってのお守りでいてください。
大好きだよ。
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