AIは便利だと思う。手続きも、作業も、全てがスムーズに進む。簡単な作業は、もはや私たちがやらないほうが、効率的に物事が進んでいくであろう。だからこそ、怖さを感じる存在でもある。現状、AIが得意としているのは、事務作業やアルゴリズムに則ったライン。Aの場合はBを。Bに行けない場合はCを行う、などのプログラムが基準となっている。ボーダーラインは決められているが、わずかでも満たす場合は次のプログラムへ、わずかでも満たさない場合は別ルートへ促すのが流れだ。検定試験のように、合格点だけで資格が取得できるかを決める、無機質に選別されている状態。私たちはこのように、AIで満たされた世界を無機質と表す。そして、感情がこもっている世界を彩りがあると言う。私が描く未来は、AIにも感情が生まれ、判別できるようになり、無機質な世界に色が足されていく未来である。希望を見いだせるかもしれないが、私は少し怖さを感じているのだ。

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将来、AIに多くの仕事が取られてしまうと言われている。受付や事務など、比較的業務がマニュアル通りに進みやすい仕事からAIに交代していくらしい。今でも、レストランの予約管理、病院の外来自動受付システム、スーパーのセルフレジなど、機械によって賄われている仕事はたくさんある。働く人口が徐々に少なくなっている中、機械の導入によって人員不足を補おうとしているのが目的である。しかし、求人を出している人がたくさんいることも事実だ。就活生やハローワークに通う人、転職サイトに登録している人も多くいる。確かに、マニュアル通りに進めば、誰でもできる仕事なのだろう。機械がその役割を担っても、総合的なシステムが壊れることはない。私たちも普段通りの生活ができる。安い賃金で人を雇うよりも、収益に繋げられるメリットが大きいこともあるだろう。

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AIは、事務的な仕事をしている一方で、さらに精度を高めようとする研究が進められている。人間に寄り添うAIになれるよう、感情を読み取ることや、感情を作業に反映することも研究されている。将来、人間の感情があることで成り立っていた仕事が全てAIに変わってしまう日が来るかもしれない。そうなれば、私たちはどのように生きていくのだろう。反対に、これまで感情を持って動いていた私たちのほうが、感情をなくして無機質な存在になる可能性があるのだろうか。徐々にAIに感情を理解されていけば、私たちの感情を奪われていることに気づかないかもしれない。ゾンビ映画の最後のように、気がついたときにはすでに感情をなくしていることすら考えられる。そう思うと怖いと感じるのは自然だ。これまでAIはすごい、未来に希望が持てる、と言われてきた。これからの暮らしを便利にするアイテムとして様々なところに供給され、普及しつつある。

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しかし、欠点に目を向けず、いいところばかりにスポットライトを当てることしかしないと感じる。重要なのは、メリットとデメリットを両方同じくらい情報として出すことだ。判断するのは、情報を受け取った私たち。良い意見ばかりでは、疑いようのない部分だってある。デメリットを見れば、妥協できるのかがわかる。この受け入れすらも、人間の気持ちが関わっていることがわかるだろう。だから、人間の気持ちをなくす、機械に代わられることは、避けられたらと思う。これからの未来も、私たちの感情が守られ、機械に無機質に振り回されない場所であってほしい。もちろん、便利になるのは大歓迎なので、便利さが勝つのであればAIは普及しているだろう。AIに感情が芽生えるならば、人間の気持ちの動きとシンクロしていると感じられるくらいであってほしい。違和感のない、遜色ないレベルまで上がっていてほしい。感情的な方向に動かされると良い評価をして、勝手に持っていかれると悪い評価をする。評価自体が感情に動かされている。ここまで密接に関わっているのだから、手放したくなくて当然だ。AIの未来は、私たちの感情に歩み寄って共存している未来であって欲しい。そう願う。