父が私に食べさせたかった念願の料理は、思い出だけどちょっとくさい

私はひとりっ子で、幼少期は両親と3人で暮らしていた。
両親はどちらも学校の先生で、二人ともとても忙しそうに働いていた。
特にお父さんは、いろいろなところに転勤があって、ほとんど家にいなかった。
単身赴任の期間もあって、お父さんがたまに帰ってくると私は人見知りをして大号泣、なんてあるあるエピソードももれなく経験済みだ。
お母さんも学校の先生ではあったけど、異動もなく時短勤務のような働きかたをしていたから、比較的家にいる時間は長かった。
家のことはお母さんがほとんどやっていたし、家で一緒に過ごした時間が長いのも断然お父さんよりお母さんだった。
ごはん関係で、とても色濃く残っている記憶がある。
あれはおそらく私が小学校3年生か4年生くらいのとき。
お母さんが、友達と旅行に行くという話がもちあがった。
たしか、お母さんがふんわりと「旅行に誘われたんだよね」という話をして、私とお父さんが「たまにはゆっくりしてきたら」と背中を押したような気がする。
お父さんは、私に向かって「お父さんは実は大学のときにコックさんのアルバイトをしていたんだぞ~ごはんは任せなさい」と言って笑った。
少し心配そうな顔をしながらも、お母さんは旅立っていった。
記憶の中では、初めてのお母さんがいない日だった。
お父さんと2人で過ごすのはなんだか珍しくて、いつもと家の色が違うような感じがして、ちょっぴりくすぐったかった。
お父さんがソファでゴロゴロしているのも、なんだか新鮮に思えた。
夕方くらいになると、お父さんはスーパーに出かけた。
「びっくりさせたいから」と、買い物には一緒に連れて行ってもらえなかったし、準備ができるまで部屋にいるように言われた。
どんな夕ご飯が出てくるのか、怖いような楽しみなような感じだった。
すっごいおいしいか、すっごいマズいか、どちらかだろうな……なんて生意気な予想をしていた。
部屋で過ごしていると、不思議な匂いがただよってきた。
嗅いだことのない匂い。醤油?味噌?なんだろう。
でも、とっても空腹をそそる匂いだった。
茶碗に盛られた白米が恋しくなるような匂い。
お父さんに呼ばれて食卓に向かうと、テーブルの真ん中に大きな土鍋が置かれていた。
インスタ映えするような、カラフルでおしゃれな料理ではなかった。
見ても、何なのかわからない。私は立ち尽くした。
でも、匂いは最高。おなかすいた。なんだろうこれ。
「キムチホルモン鍋だ!!!!!」
お父さんは胸を張って箸を手渡してきた。
食卓の上には土鍋と白飯だけ。
私はキムチもホルモンも食べたことがなかった。
まったく味の予想はつかず、匂いにだけつられてホルモンを口に運んだ。
「へ?うま~~~~~~!!!!」
間抜けな感想だったと思う。すごくおいしかった。
お父さんは「そうだろう」とでも言いたげにニコニコしている。
「おまえと2人でごはんを食べるときがあったら、これを作ろうと思っていたんだ」
どうやら念願叶ったらしい。
お父さんも嬉しそうだし、キムチホルモン鍋も最高。
2人でむしゃむしゃ勢いよく食べた。
実は、お母さんは漬物と、内臓系のお肉が嫌い。
わが家のごはん担当はお母さんだから、必然的にお母さんの嫌いなものは食卓には上がらない。
ところがどっこい、お父さんの大好物はキムチとホルモン。
仲の良い2人だけど、ここだけは相容れなかったようで、お父さんは結婚して以来「キムチホルモン鍋禁」を食らっていたらしい。
私の味覚が父寄りだと判明し、お父さんは嬉しそうだった。
それ以来、お母さんが留守のときのメニューはキムチホルモン鍋と決まっている。
食べ終えたら窓を全開にして換気をして、キムチやホルモンが入っていたパックはその日のうちに家の外に出して、部屋にフレグランスをふりちらかすまでがセット。
この作業はいつも協力して行っていた。
私は、今は家を出て一人暮らしをしているが、お父さんはまたキムチホルモン鍋禁の日々を送っているのだろうか。
いつかキムチホルモン鍋をつくって、お父さんを家に招待しようかな。
キムチホルモン鍋は、私にとってお父さんとの思い出のごはんである。
ちょっとくさいけど。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。