「AIはすごいけれど、何だか怖い」。そう思ったのはある番組で、AI技術の進歩を目の当たりにしたときだった。普段だったら「すごい!」「こんなこともできちゃうの?」で終わるかもしれない。でも、そのときの私にあったのは絶望感。なぜなら、AIが小説を書いていたからだ。
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その番組では、小説の1節が3種類並べられていた。どれがAIによって書かれたものなのかを当てるクイズだった。芸能人たちが「あれは俺でもかける1節だ」「これはさすがにAIには書けない」など、口々に自分の意見を言っている。私も、テレビの向こうの回答者になった気分で答えを考えてみた。
AI、小説家、一般人のいずれかが書いた文章。明らかに差があったので、2択に絞ることはできた。私が「とてもキレイな表現だな」と感じた1節。正解が発表される瞬間まで、それが小説家が書いたものであってほしいと、私は強く願った。しかし、AIによるものだと分かったとき、ショックを隠しきれなかった。
有名な小説家が綴ったような独特な表現を、AIがこんなにも簡単にできてしまう。一生懸命考えて書き上げた小説が、圧倒的にAIの作品と差が出るようになる日がきてしまうのだろうかと不安になった。もっと早く小説家になって、活躍できるくらいの力をつけておくべきだったと後悔した。
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AIがイメージから絵画を描いたり、細かく指示をすることで作曲をしたり。AIにできることが増えて喜ぶべきなのかもしれないけれど、私は怖くてたまらない。便利な時代になることで古き良き文化が廃れてしまうように、AIにできることが増えていくと失われることもある。私の夢だけでなく、今の仕事もAIに奪われてしまう可能性がある。世の中はどうしてこんなに残酷なのだろう。
しかし、こんな現実を突きつけられても、私は諦めない。小説家になるという夢を叶えることへの可能性は、私の中から消えることはない。なぜならAIにはできないことが、人間の私にはできるから。そう、私には「感情」がある。
誰かと一緒にいて楽しいと感じたり、大切な人を亡くして悲しくなったり。プログラムされたことから答えを導き出すAIとは違って、私たちはさまざまなことを経験する中で、色んな感情が芽生える。しかも、その人によってそれは異なる。同じテーマで小説を書いても全く別のストーリーになるのは、テーマから連想するものやその感じ方が異なるから。どんなに高度なプログラミングのAIでも、さすがに「感情」を持つことはできない。だから、AIに勝てないなんて思ってない。
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冒頭に出てきたテレビ番組を見たとき、正直、ちょっと夢を諦めることが頭をよぎった。でも、私はその考えをすぐに捨てることができた。私が小説家になる日を楽しみにしてくれていると、私の可能性を信じていると言ってくれた人がいるから。「将来、みちる先生の家で主夫をさせてもらうから」と冗談を言いながら、応援してくれる人がいるから。そういったエールから得た感情は、私の原動力になる。
正の感情や負の感情。「AIに負けない武器」という表現だと言い過ぎかもしれないけれど、小説を書く上でヒントになることもある。これからの人生の中で物事を考えながら色んなことを感じ、それを小説のストーリーとして表現しながら、最高の作品にできたらと思う。