父の色メガネで見た私は悪そのもの。それでも受容を諦められない

私の父親は、一言でいうと「昭和の熱血頑固おやじ」。
なんだこの髪色。こんなやつ試合に出る資格ねえだろ。
ゴミ捨てのマナーも守れねえのか。絶対近くのタトゥー屋の仕業だ。
男のくせにメイクなんてしやがって。日本も終わったな。
これは全部、私の父親の発言だ。
家族で箱根駅伝を見ていた時、茶髪のランナーを見て言った一言。
近所にタトゥーのお店を営む家族が引っ越してきたとき、荒れたゴミ捨て場を見て言った一言。
男性タレントが出演する化粧品のCMを見て言った一言。
彼の理論でいうと、スポーツ選手は、おしゃれも恋愛もせずに、泥臭く、清くあるべきで、見た目が派手なやつはろくな奴じゃない。体にアートを施すことも、顔のパーツをいじることも異常。男は男らしく、女は女らしくあるべき、ということになる。
だから彼にとって、坊主でない高校球児は高校球児ではないし、スカートを履く男性は男性ではない。
私はもう父親の思考がすべてわかる。ここまでくると、もはや単純な思考だ。
ただ新しいものが受け入れられない。彼の正義からそれたものは、すべて悪となる。
私は大学進学を機に実家を離れた。父親はスマホやラインも嫌いなので、数か月に1回程度メールで連絡を取るくらいだった。たまに私が実家に帰ると、仕事から帰ってきた父親は、私の顔を見ても「ああ、いたのか」などと言って平常を装う。でも私は、本当は娘の帰省が嬉しくて、照れ隠しをしているのを知っている。
「じゃあパパの晩酌に付き合おうかな」と私がグラスを用意し、夜11時頃からお笑い番組を見ながら一緒にお酒を飲み、だらだらと夜中の2時過ぎまでたわいもない話をする。
これが帰省した時のお決まりの流れだった。
お酒が入ると、父親は楽しそうに話すし、寒いギャグなんか言ってくる。この時間は割と好きだ。たまにでる父親の発言は、相変わらず昭和の頑固おやじのままだから、私はただ苦笑する。
ユーチューバーなんてもんが仕事になるんだから、世の中おかしくなってるよ。
お前、そんな日焼けなんかして、誰も嫁にもらってくれなくなるぞ。
海外行きたいんだろうけど、もう実家に戻ってきて公務員でもやれよ、その方が絶対幸せだって。
しかし、そんな発言に娘が同調していないことを、彼は恐らく気にも留めていない。私が、結婚の話が出ると話題を変えていることや、私が、いくらお酒が入っても絶対に彼氏の話をしないことも。
そして彼は知らない。彼の娘の体には3つのタトゥーが入っていて、彼の娘は二重成形もしていて、彼の娘は、女性と恋愛をしている。
彼の中では、私はまだ「田舎育ちのかわいい娘」なのだ。
彼の世界で生きている人はもう彼しかいない。
彼の娘すら、もうその世界にはいないのだ。
だから寂しくなる。彼がこの時代から取り残されていく姿に、寂しさを覚える。
小さな田舎である地元を離れて、彼の知らないところで私はいろんな世界を見た。もう父親のいう通りの幸せが私の幸せではない。彼の価値観が、もう私には理解できないものになっている。
私の価値観が、彼に理解されないものであることも明らかである。だから余計に寂しくなる。
私は彼の色メガネを通してみたら、悪そのものである。不純で、生意気で、生きる資格もないような存在かもしれない。娘が別の世界にいる一人の大人であることを、彼はきっと受け入れることなどできない。だから私は、彼の色メガネに映る自分が、きれいであるように、しっかりと繕うのだ。そのメガネ越しの私に、少しの穢れもほつれも見えないように。
それでもいつか、私は私のありのままの姿を、彼にさらけ出せる未来が来ることをどうしてもあきらめきれない。まだ彼の娘だから。彼が私の父親だから。
どんな見た目でも、どんな中身でも、私のありのままを、私の幸せを、全力で受け止めてほしいのだ。
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