私にとってピンクは、“女の子らしさ”を連想させるものだ。そしてその“女の子らしさ”というものが私は苦手だ。その苦手意識は、私の幼いころの経験によるものである。
ある時、忙しそうに家事をしていた母が私にこう言った。
「女の子なんだから手伝いなさい!」
「女の子なんだから」。他の兄弟には声をかけない母に感じた違和感
私には兄弟がいて、基本的にみんな母に言われるまでは自分から家事を手伝おうとしなかった。
母は私の祖母が病気がちだったこともあり、幼いころから家庭を切り盛りしていたから、家事はすいすいこなすし、土日でも家で仕事をするほど常々忙しなく働いていた。そんな母が、ダラダラしている私たちを見てイライラするのは致し方ないような気もする。
しかし、その時の私は母のその発言に、猛烈な違和感を感じた。
「“女の子なんだから”ってどういうこと?」
なぜ、同じようにダラダラしている兄弟には声をかけず、私にだけ声をかけるのか?さもあたりまえかのように、「女の子だから」という理由だけで私だけが家事を手伝わされるのか?じゃあ私が男だったら手伝わなくてよかったのか。
ひねくれものの私は、小さい時からそんなことを考えていた。
母にその疑問をぶつけてみたこともある。そうしたら「将来お嫁さんになったとき何もできなかったら困るでしょ?」と言われた。でも、男の人だって一人暮らしすることもあるし、なんで結婚したら家事は全部女性がするものと決まったように言うのだろうかと、ずっと疑念を抱いていた。
昔からの価値観で自分の行動や「好き」が制限されるのは嫌だ
それからというもの、私は“女の子らしい”ものが嫌いになった。
服屋さんに行けば、スカートには一切手を付けず、色はアースカラーばかり選んでいた。その度に母に、「また男の子みたいな格好して。もっと女の子らしくかわいいもの着たら?」とあきれられながら言われた。
今でも落ち着いた色やボーイッシュな服装が好きで、それが自分に似合うと思ってファッションとして楽しんでいるが、今思えば当時の私は、それらの色や服を身に着けることで、自分が“女の子”であることにひそかに反抗していたのかもしれないと思う。
これらの経験から思うのは、どうして昔からある価値観によって自分の行動や好きという感情が暗に制限されたり、批判されなければならないのだろうということだ。
自分が自分らしくいるために、性別などの箱に入れる必要はあるのだろうか?
結婚した女性からのキャリア相談の内容は、男性とは違っている
最近ではやっと男性も女性も家事を分担しようという考え方が出てきて、「イクメン」がちやほやされる世の中になってきた。しかし、その言葉の裏側には、女性が育児をするのがあたりまえという価値観が隠れている。
「イクメン」はほめたたえられるのに、「イクウーマン(?)」はなぜほめてもらえないのだろうか?
仕事柄、色々な人のキャリアの相談に乗ることが多いのだが、結婚した女性から相談を受けるのは、「旦那の転勤についていけるようにリモートワークしたい」とか「育児の時間を取れるように残業が少ないところがいい」というようなことで、男性からそういう相談を受けることはあまりない。
本当にその人が好きでその道を選んでいるのならいいのだが、もし特に夫婦間の話し合いの中ですでに決定事項であるかのように決まっているのだとしたら、それはあまりにも不平等だと考えてしまう。
でも、もしかしたら男性には男性のプレッシャーがあるのかもしれないと思う。本当はそこまで仕事が好きでなくても、家族のためにお金を稼がなければと思って、嫌な仕事を無理に続けざるを得ないと思っているかもしれない。
本当はどうありたい?どうしたい?これからも自分に問い続ける
誰しも人生において、常に100点満点の環境や自分の状態を得ることは難しいと思う。
全てが自分の思い通りになるかと言えばそうではなくて、少しの妥協は必要だ。ただ、それが誰かに決められた価値観によって妥協しなければいけないというのは納得できない。
「女はこうでなければいけない」「男はこうしなければいけない」という見えない価値観が少しずつ減っていくといいなと思う。
「本当はどうありたい?」
「本当はどうしたい?」
私はこれからも自分に問い続ける。
そうしていつか私に似合う“ピンク”を見つけたい。