ピンク色を選ぶと頭が悪そうってずっと思っていた。
平成初期〜中期に幼少期を過ごした私。ちょうどセーラームーンが流行っていて、幼稚園でのごっこ遊びはもっぱらセーラームーンになりきっていた。
誰がどの役を選ぶかとなったとき、いつもセーラーマーキュリーの役を選んでいた。
可愛くて人気者の友達がいつもセーラームーンを選ぶから、被らないように配慮して。
でもそれだけじゃなくて、マーキュリーは頭が良さそうだから好きだった。
思い返せばこの頃からすでに、「ピンクは可愛い色、ブルーは頭のいい色」という刷り込みができていた。

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そして小学校に上がるとますます、可愛い女の子へのコンプレックスは募っていった。
眉毛が濃くてキリッとした顔の私に、ピンクは似合わない。ピンクを選んで可愛さで負けるのが嫌だったし、あんなダサい子がピンク選んでると思われるのも嫌だった。
そこでプライドが高い私は、最初からブルーを選んでおくことで「私はあなたたちとは違うの」と示すことにした。

みんなが好きなピンクになびかない自分が好きだったし、ピンクはぶりっ子で頭が悪そうな色と決めつけて、そちら側じゃない自分に安心していた。
「可愛い」と「頭がいい」は相反する概念だと信じて疑わなかった。
クローゼットはいつも寒そうな色をしていた。
しかし、そんな私の価値観に大きなインパクトを与える一本の映画と出会ってしまった。

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中学校の英語の先生は、授業時間が余るとたまに洋画を観せてくれた。
その一つが『キューティ・ブロンド』という作品だった。
ブロンドヘアの主人公が「金髪の女の子は頭が悪そう」と名門大学の彼氏に振られてしまうが、一念発起してハーバード大の法学部に入り弁護士になる、というストーリーである。

印象に残っているのが、名門大学に受かってからピンクのふわふわの羽のついた可愛いペンでノートをとる主人公の姿。
そんな頭の悪そうなペンってある!? と驚いた。自分らしさを曲げないままどんどん突き進んで、ついには夢を叶えていく姿に衝撃を受けた。

「可愛いと頭がいいって両立するんだ」

圧倒的ブレイクスルーだった。
バカにされていた女の子のサクセスストーリーに爽快な気分になった。

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しかし、それと同時に自分の偏見も思い知らされた。
ピンクは女の子らしい色という風潮がずっと嫌いだった。
女の子は頭が悪い、とされるのも。
世の中に反抗するため、ことあるごとに女の子が選びそうなものの逆を選んできた。
それは私のちっぽけなプライドだった。

でも世間が押し付けていると思って抗ううちに、いつの間にかピンクを選ぶ女の子を見下していた。決めつけているのは周りの人よりも誰よりも自分だった。
「女の子だからピンクが好きなんでしょ」と言っている大人を見下しながらも、自分も同じことを周りの友達に対して思っていたのだ。

女性の可能性を広げるために戦うフェミニストだと思っていたはずの自分は、内面に偏見をたっぷり取り込んでいた。

敵視していたものが自分の内側にある、と認めることは苦しかった。
でも、認めないと先に進めないと思った。

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自分自身の女性性を否定したところで、女性であることは変わらない。
死ぬまで否定し続けるのは、きっと苦しいだろう。
それならば、女性として生まれたこの人生を愛せるようになりたい。
こう思ってからは、女らしさに反発していた時よりも不思議と生きやすくなっていった。
反発しながらも女らしさにこだわっていたのは、紛れもなく自分の方だった。

いまは、ピンクを身につけたい気分の時は素直にピンクを選んでいる。
世間ではなく、自分の気分に合わせて。
「ピンクを着ていてもブルーを着ていても、私はいつも賢くて可愛い」
そう信じてあげられる自分がいれば、人生はいつもカラフルで楽しいのだった。
さぁ、明日は何色を着て出かけようかしら。