私自身を受け入れてくれる人と会う日に、あのバッグを持っていこう

届いてしまった。ピンクのハンドバッグ。
深夜3時にネットの海で発見し、テンションの上がった私が購入ボタンを押したようだ。
丸いフォルムにくしゅくしゅした持ち手。全体には小さなリボンが散りばめられていて、バレエのトゥーシューズをカバンにしました、みたいな。
すごく可愛い、見ているだけで心躍るようだ。それなのに。
私はきっとこのカバンを持ち歩くことはしばらくないだろうな、そう思った。
昔からボーイッシュな格好が好きだった。というか、可愛い格好が似合わなかった。
そんなに日々激しい運動をしているわけでもないのに肩幅はがっちりしているし、くびれもないし、胸板は厚め。膝丈のワンピースとか、上半身に目線がいくフリルブラウスとか、見ている分には好きだったけど、自分が着てみるとすっごく違和感だった。
女の子っぽい服が似合わないんだ、と気づいてからは、体型を隠すようなダボっとした服をよく着るようになった。元々ストリート系の服が好きだったこともあり、輪をかけて、スカートも全然履かなくなった。
同時に、ピンクと私の距離は離れていった。服だけじゃなくて、持ち物でさえ、可愛いなと思っても避けるようになった。私みたいな、普段男の子みたいな服を着て、なんなら言動も女の子らしくない奴が、こんな物持っていたら、なんだか馬鹿みたいじゃない?
ピンクの呪いにかけられていたあの頃の私は、黒とか、赤とかとお付き合いするようになって、可愛い方に針が振れないように、注意深く洋服を着ていた気がする。
そもそも、女の子らしい、とか、可愛らしい、みたいな言葉で一括りにされるのが嫌だった。
私は確かに女の子ではあるけど、料理とか片付けとかできないし、椅子に座るときは足組んじゃうし、髪だって伸びたらすぐ切っちゃうし。けどそんな自分が好きなの。それを単に色とか服装で判断して、貴方が思う「女の子らしさ」を押し付けないで。
普段ボーイッシュな服を着ていて、たまにスカートなんて履くと、「なんか珍しいじゃん」とか「今日デート?」とか聞かれたりする。そういう服が着たい気分だっただけなのに、そう言われると、あーあって気持ちになる。だから、余計着なくなりつつあったわけだけど。
最近なんだか、ピンクとの距離は縮まりつつある。
コーデを組んでいて、あ、ここに差し色でピンクがあったら可愛いだろうな、とか、ショッピングをしていて、あのピンクのセーター可愛いな、とか、自然に思うようになった。
これは多分だけど、世間の「女の子らしさ」というものからちょっと距離のある自分のこと、年々、これが自分だって受け入れることができるようになり、これを自分だと受け入れてくれる人々に出会うようになって、「自分」そのものを好きになることができたからだと思う。
好きな色とか好きなものに、世間の「らしさ」を押し付ける人が私は好きじゃない。私はずっと、その押し付けに苦しんでいたけど、そうじゃなくて、自分の思う「自分らしさ」を生きればいいんだとようやく気づけた。
今日は可愛い服を着たい気分だったんです、デートの予定はないです、可愛い服を着ても大声で笑うし、なんなら手も叩いて笑うけど、そんな私でもいいでしょう?
あの可愛らしさ全開のバッグを、持ち歩く勇気はまだ出ない。けれど、ふと、あ、今日の服にあのカバンを合わせてみよう、って思う日がきっと来る。
ピンクの呪いは解けつつある。不特定多数の目線とかに関係なく、私自身を受け入れてくれる人との待ち合わせに、私はあのバッグを持ってスキップで登場する。そんな日はきっと近い。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。