気が強くて頑固な私は、今日も自分を肯定するためにピンク色を選ぶ

保育園生の頃、男の子たちに混ざってヒーローごっこをするとき、私は決まってイエローにさせられていた。
当時放送されていたスーパー戦隊はピンクだけが女性で、イエローは男性が演じていた。特別ピンクが好きだったわけではないし、むしろ好きな色は青とか緑だったけれど、私の変身は「イエローになる」のではなく「男性になる」ような気がして嫌だった。
毎回ピンクは私の友達が任命されていて、時々、「ピンクが2人いたらだめなの?」とリーダーであるレッドに直談判した記憶もあるが、「じゃあイエローは誰がやるの?」「そんなのみたことない」等言われ却下された。私がピンクになれるのは、その友達が保育園を休んだ時だけだった。
私がピンクに選ばれない理由はなんとなく察しがついていた。当時の私はボブヘアで、一緒にいるその子はツインテールがお決まりのヘアスタイルだった。髪にリボンを2つ付けている子の方をピンクにしたくなる気持ちは、悔しいけれど私も理解できた。きっと私は、“それ”っぽくなかったのだと思う。私だって駄菓子屋で買ってもらうセボンスターに心を躍らせて、どこへ行くにもその小さな10本の指すべてにおもちゃの指輪をはめるのを欠かさなかったくらい、おしゃれが大好きな女の子だったのに。
その経験が潜在的に影響していたのかは分からないけれど、いつからか私は無意識のうちにピンクを選択肢の中から除外するようになっていた。
年齢が上がるにつれて、私はどんどん“それ”っぽさから遠ざかっていった。特に、頑固で気が強く、嫌なことは嫌だとはっきりと伝えないと気が済まない性格は、それと同時にいつでも可愛らしくありたいと思う私を悩ませた。学生時代の私は、自分の意見を言ったり怒りの感情を表に出す女の子は、可愛らしさとは正反対の場所にいると思っていたから。
そんな時、私にとって衝撃的な出会いがあった。それは「うる星やつら」に登場するランちゃんというキャラクター。ふわふわのピンク色の髪に、フリルのついたエプロンを身につけたランちゃん。でもそんな可愛らしい見た目とは裏腹に、怒ったときにはドスの効いた声で喋り牙をむくという、二面生を持った女の子である。そんなランちゃんをみていると、女の子はいつでも優しく人を許し、聖母のようでなければいけないという、私の中にある“女の子のあるべき姿”が覆されていくような気がした。鬼の形相で怒りを露わにしていても、決してランちゃんの可愛らしさが損なわれることはないし、むしろ普段のピンク色のイメージが、さらに魅力を引き上げているようにも感じられた。そして私は思った。怒りを抱えた私だって、可愛らしさを諦めることなくピンクを選んでもいいのだと。
それから私は、趣味の映画鑑賞を通して、ピンクを印象的に纏った魅力的なキャラクターにたくさん出会ってきた。「ハイスクールミュージカル」のシャーペイ、「キューティ・ブロンド」のエル・ウッズに、「ミーン・ガールズ」のレジーナ・ジョージ。明るく前向きな子もいれば、ちょっと意地悪な子もいたりするけれど、全員に共通するのが“自分を曲げない芯のある女性”だということ。同じピンク色でも、それぞれの個性を違ったイメージで引き立たせている。ピンクはただ単純に可愛い女の子の色というわけではないことを、彼女たちは教えてくれた。そうしてピンクは、私をエンパワーしてくれるとても大切な色になった。
「サイトウさんは濃いピンクってイメージです」
大学を卒業するとき、後輩からのメッセージの中にこんな一言があった。ここでいわれてるピンクはきっと、多くの人が想像するような可愛らしいイメージとはまた違ったものだと思うけれど、私にはそれがとても嬉しかった。保育園生の頃にはダメだといわれたピンクが、今や私の個性を引き立たせるイメージカラーになっている。
数ある色の中でも、ピンクは特に「女の子らしさ」という強い役割がつけられてしまっていて、現代においては扱い方が少し難しくなっているような気がする。ピンクが好きな人、好きだけど大きい声では言えない人、どんな人でもこの色の持つパワーで、自分らしさを大切にできるようになればいいなと思う。好きな色を自分のイメージカラーにすることは、意外と簡単なことなのかもしれないから。
私もランちゃんや映画の中の彼女たちのように、いつだって芯を曲げない強い女性でありたい。
気が強くて、頑固で、時々怒りっぽい私は、今日もそんな自分を肯定するためにピンク色を選ぶ。
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