ピンク、は私が幼いころから敬遠し続けていた色だった。ただ、社会人になった私はピンクとの距離感を詰めている。
“女の子”らしさの最たるものがピンク、という思いから、私は今ピンクとお近づきになろうと、ピンク色のものをぼちぼちと集めだしている。

鏡の中にはピンクの服が似合わない、「男の子」っぽい私が

さて、幼少のころから顔はベース型、髪型はベリーショート、肌の色は小麦色を通り越して茶色に近かった私は、連れていかれる先々で、「ぼん」とか「ぼく」とかと呼ばれて、男の子に間違われていた。
ショートカットは母親が好きな髪型で、肩より長い髪型を、社会人になるまでしたことがなく、自分の髪の毛の長さが短いのが、より自分自身を“男の子”っぽく思ってしまう原因を作ってしまっていたような気がする。

髪型や体形から“男の子”に間違われる私でも、テレビやニュースで流れてくる“女の子らしさ”には惹かれていた。
小学校の低学年か幼稚園の頃か忘れてしまうほど小さい時、マッシュルームの髪型でピンクの服を着せられて祖母に会いに行ったとき、「かわいいなあ、女の子やし、ピンクやっぱり似合うわー」と言われた。
それを素直に信じて、鏡をまじまじ見てみると、ピンク色の服が私の体から浮いているように思えるくらい、似合っていなかったように見えた。その当時、丸々と太っていた私は今思うとちょっとぽっちゃりした“男の子”に見えた。

「なんかダメな気がする」と違和感を抱いてピンクを敬遠した

当時は、“男の子”は青っぽいもの、“女の子”はピンクといったような線引きがあったし、自分の外見から、どちらかといえば私は“男の子”っぽいから、ピンクとかは避けようという意識が生まれたのかもしれない。「なんかダメな気がする」と違和感を抱いてピンクを敬遠するようになっていった。

親が私の持ち物や着るものを選んでいたので、筆箱などは多少かわいらしい柄を使っていたかもしれない。でも、ピンクは使わなかった。思い返せば、幼いころが一番顕著にかわいらしさから距離を取っていた。
柄や色が選べる家庭科で作るエプロン等はモノトーンで、キャラクターが印字されているもの、裁縫道具箱は青だった。
でも、絵具セットはピンクと青の2色しかなく、女の子は大体ピンクを持っていた(兄弟のおさがりがある場合を除く)ので、ピンク色の絵具箱を買わざるを得ず、しぶしぶそれを持っていた。

大学に入ってもその思いは続いていて、ただ、かわいらしいものが好きではあったので、レモンイエローや、赤、オレンジなどの色合いのカラフルな色彩のアクセサリーやポーチ、携帯カバー等を使用して、かわいらしいものを持ちたい欲求を満たしていた。
ただ、かわいらしさに抵抗があり、その延長線上で化粧や服には疎かったので、集めはしてもどう合わせてよいのかわからず、持ってはいても箪笥の肥やしにしていて、鞄も青系か白黒のものを使っていた。

憧れていたかわいらしさを、今更ながら追い求めている

転機が訪れたのは、社会人になり、大学の友人がやっていたヘアドネーションに興味を持ち、髪の毛を伸ばし始めてからだった。
髪の毛が初めて肩より下の長さになったころ、ふと、「あ、私“女の子”に見える」とふと思った時があった。
20代の女を“女の子”と評するのもおかしな話だが、幼いころからあこがれていた、“女の子”らしさ、かわいらしさがどんどん目に見えて近くなってきた。

それが社会人1、2年目で、そこからスマホ、イヤホンをローズピンクに、財布はビビットピンクにした。
こわごわジャケットでピンクを着てみたら、あ、なんだかいい感じ、と思って少しピンクへの恐れを解いていった。

そして社会人3年目で、人生で一番長い髪の毛になったとき、ちょうどあこがれていたアイドルとだいたい同じ髪の長さになったので、その子の載っている雑誌を買い、今はやりのマーメイドスカートを、ピンク色のを買ってみた。
そうしたら、しっくりきた。「あ、なんだか似合うかも」と思ったその時から、ピンクに長年あこがれていた私を見つけてしまった。
私はどうも、かわいらしさの象徴と思っていたピンクをずっと身につけたかった。つまり、私もかわいらしい“女の子”になりたかったようなのだ。

今はもう髪の毛を切ってしまったけれど、それでもピンクを着ること、ピンク色の小物を集めることを続けており、自分のあこがれていたかわいらしさを今更ながら追い求めている。