22年間の人生の中で、私はピンクと友達になり、絶交し、そして親友になった。
私がピンクと友達になったのは、たしか幼稚園に通っていた頃だった。何を選ぶにも、「ピンクがいい!」の一点張りで、よく両親を困らせていたそうだ。2歳年下の妹と、ピンクの取り合いで喧嘩をしていたことは、よく覚えている。

幼少期のピンクのエピソードの中で、最も印象に残っている思い出は、ランドセル選びだ。入学式前、家族で私のランドセルを選びに行ったが、私は、ランドセルの色は薄いピンクがいいと言った。ところが母は、薄いピンクは汚れが目立つと考えたらしく、私にルビーピンクを激推しした。「ほら、ピンクって書いてあるやん」と言いながら。

単純だった私は、だんだん、「まあピンクって書いてるもんなぁ」と思いはじめ、結局、雨の日も風の日も、晴天の日も、6年間ルビーピンクを背中にしょって、登校した。

今改めてルビーピンクのランドセルを見直すと、ピンクというより赤に近いのではと思ってしまう自分もいることは、当時の私には秘密にしておきたい。 

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そんなピンクと絶交したのは、中学生の頃だった。ピンク=幼いという考えが女子の間で浸透する中、私もいつの間にかアンチピンクになってしまったのだ。

かわいいピンクよりも、白や黒を好むようになっていった。部屋に充満していたピンクは、高校生になる頃にはもう、白や黒に侵食されていった。モノトーンな部屋はどこかクールで、しかし、どこかさみしかった。

時は流れ、やがて、世界中にウイルスが蔓延した。大好きな学校やお買い物にも行けず、親戚や友達に会うことさえできなかった。私のモノトーンの部屋は、より色を失っていったように思えた。同時に、私のココロもモノトーンになっていった。

そんな、出口が分からない真っ暗なトンネルに迷い込んでいた私に、彩りを与えてくれたのは、ピンクだった。

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唯一の外出と言っても過言ではなかった、ベランダでの気分転換。外を眺めて、鳥たちはいいなぁ、などと思っていた、その時。

強くて優しい春風が吹いた。私は目をつぶった。そして、目を開けると、ピンク色の桜が舞っていた。きれいだった。感動した。ココロがピンク色になった。
それからというもの、私の身の回りには、ピンクを初めとする、たくさんの色が、少しずつ増えていった。徐々に外出できるようになったこともあり、それに比例して、新しい服、新しい雑貨がどんどん増えていったのだ。私のココロも、心なしか、明るくなった気がする。

たくさんの色が増える中で、私にとって、ピンクは特別だ。ピンクを見ると、桜が舞った日を思い出す。あの日、私を全力で励ましてくれたピンク。今ではもう、親友だ。やっぱりピンクがあると明るい気持ちになる。

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22年間の人生の中で、私はピンクと友達になり、絶交し、そして親友になった。かわいくて大好きな色は、少し鬱陶しい存在になり、やがて、私に光を与えてくれたのだ。

この先、さらなる楽しみや困難が待ち受けているかもしれない、私の長い人生。その中で、ピンクと仲良く、たまに喧嘩もしながらも、私の人生は、ピンク色に染まっていくだろう。そして、ピンクと様々な距離感を生み出す中で、その距離感でしか見ることができないピンクを楽しめる人生を歩みたい。なぜなら、ピンクは決して一色ではないから。