顔の美しい人が怖い。

性別にかかわらず、私は顔の美しい人を畏怖してしまう。こんな綺麗な人に私が話しかけたら、迷惑じゃないかな。うざがられないかな。嫌われないかな。怒らせないかな。無視されないかな。笑われないかな。冷たくされないかな……。顔の美しい人の存在は、私の頭を心配と恐怖でいっぱいにする。

これは美男美女から冷たくされた、いじめられた等の経験からくる畏怖ではない。私の脳が勝手に「人間の上下」を顔で決めてしまうために生まれた色メガネだ。 

◎          ◎

私は「顔」に異様な執着を持っている。父と兄にブスだと馬鹿にされた子ども時代。美容医療とメイクで変身し可愛いとチヤホヤされるようになった大学〜社会人時代。あまりにも波乱万丈に、私の人生には、常に「顔」がついて回ってきた。そんな不健全な人生の中で、美醜を人間の評価に結びつけてしまうようになったのは、仕方のないことだと思う。

顔の美しい人=上の存在、尊い人、権力のある人、気安くて接してはいけない人、丁重に扱わなければならない人。そんな考えが、考えるより先に身体に染み込んでしまっている。

実際、同級生や同僚の美男美女に話しかけなければならない時は、どんなに見知った仲でも、毎回手汗が止まらない。態度や言葉に気をつけ、リアクションを間違えないよう、力みながら会話をする。会話が終わって緊張の糸が切れると、どっと疲れて体温が上がり、肩は凝り、頬は紅潮する。はぁー、怖かった。疲れた。私のあの発言、キモいって思われてないかな。つまんない話ししちゃったかもしれない。あー、どうしよう。嫌われてませんように。口には出さないけれども、毎回そんな感じで、一人反省会を開いてしまう。

◎          ◎

最悪だったのは、見知った仲でない美男美女が同じコミュニティに来た時だ。もう怖い!本当に怖い!存在が怖い!美しいあなたの目が、どうか私の汚点を捉えて笑っていませんように!そう願いながら、ついでに話しかける義務も発生しませんようにと神様に願う。しかしそんな願いも虚しく、仕事でペアを組むように言われた日には、床を転げ回りたいほど絶望した。ああ、失敗したら終わり、嫌われたら一貫の終わり、笑われたら泣く。美しい人に拒否られたら、私はもう立ち直れない……。部長、今からでも、ペア変えてくれませんか……。なんでもするから……。心で何度もべしょべしょと泣いた。

しかし、実際に私が拒否されることはなかった。というのも、ペアを組んだ女優風の超・超・超美人は、めちゃくちゃに気さくで、明るくて優しくて、邪気のじゃの字もなく、よく笑う、底抜けに温かい人だった。話すと心が幸せになる、太陽のような人だった。腰が低く、常に相手を気遣い、相手の調子を尋ねたり、相手の趣味を一緒になって楽しんでくれたりもする、極めて美しい心の持ち主だった。今、私と彼女はプライベートでご飯に行く仲になっている。

◎          ◎

実は、彼女との件に限らず、このような「怖いと思ってたけどそんなことなかった、むしろ仲良くなれた」経験はたくさんある。それでも私は彼女たちに対していまだに緊張するし、かなり汗もかく。

結局のところ、私は美しい顔がそこにある限り、反射的に畏怖を抱いてしまうのだ。物事を本質的に見ようとする私の目は、いつまで経っても色メガネに塞がれてしまっているのだ。悲しい。外したいのに、外したいと思える頭があるのに、手が、頑なに動こうとしない。この色メガネが外れる日は来るのだろうか? その時、私は何歳になっているのだろう? 自分のくだらなさにマスクの中でため息を吐いても、色メガネは色を保ったまま、一片のくもりも付きやしない。