喧嘩ができたら、友情もあんなにふっと消えてしまうことはなかったかもしれない。喧嘩ができたら、何もかも曖昧なまま終わらずに済んだかもしれない。何もなかったわけじゃないのに、本当に「何もない」関係になっていく。喧嘩をしないまま、切れた縁。雲行きが怪しくなり、すれ違い始めたとき、正面から向き合えなくなったのはいつからだったのだろう。

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大学時代の親友と絶交した。人生において「絶交」と言い切れるほどの決別は、そう何度もあるものではないと思う。入学当初から意気投合し、朝から晩まで共に過ごした。周りからはいつもセットで名前を呼ばれ、それが私たちの誇りだった。毎日が素晴らしく楽しかった。同じ学びを得、未来を語り、笑い合い、美しい夢をたくさん見た。心の底から、出会えてよかったと思った。

だからこそ、あの絶交は衝撃だった。もう決して戻ることのできないところまで深く引き裂かれてしまった。あれ以来、話すことも、目を合わせることもしていない。何かの拍子にふと話したくなることもあったし、彼女なら分かってくれるだろうと思うこともあった。

けれど、それでも話すことはできなかった。喧嘩をせずに絶交を迎えたからだ。もっと早い段階で、関係がぎくしゃくし始めたことに気づいていたのに、私はそれを見過ごした。あのとき喧嘩をして、彼女の話を聞き、私の気持ちを伝えていたら、今もまだ、一緒に夢を見続けていたのかもしれない。

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けれど現実では、まだ許せていない。きっと彼女も。そうして、このまま社会に出ていくのだろう。ふと、考える。私たちは、一度も喧嘩をしなかったのだ。

喧嘩をしていた頃、私は喧嘩にポジティブな意味を感じていなかった。傷ついて、傷つけて、仲直りして、また喧嘩して。不毛なやりとりだと思っていたし、そう教えられてもきた。「相手の気持ちを考えましょう」「大人になりましょう」。

初めて喧嘩をせずに切れた縁は、中学生のときだった。四六時中一緒にいた友達と、「ずっと仲良しでいようね」と誓い合った。けれど、小さな亀裂が積み重なり、次第に話すことが減り、気がつけば、顔を合わせても会釈するだけになった。何か決定的なことがあったわけではない。ただ、いつの間にか距離ができ、修復できなくなっていた。まるで、友達になった過程を逆再生するかのように、少しずつ少しずつ、他人へと戻っていった。誰も悪くないのに、なぜか離れてしまった。

高校時代の彼にも、特別大きな不満はなかった。けれど、彼の返事や何気ない言動が、次第に気になり始めた。小さなことだから、わざわざ口に出すほどのことではないと思った。喧嘩なんて、考えもしなかった。ずっと一緒にいれば、自然とこうなるものなのだろうと受け入れた。だから、理由を伝えないまま別れた。

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気づけば、私はずっとそうやって人との関係を終わらせてきたのかもしれない。お互いが気持ちを察し合おうとして、遠ざかっていく。本当に離れたかったのかどうか、今となっては分からない。喧嘩をするという選択肢が、いつの間にか私の中から消えていた。

喧嘩の仕方が、もう分からない。

「自分の何が嫌なの?」
「どうして距離を感じるの?」
「教えて?」
「あなたのそういうところが嫌なの!」

もし、全部言えたら。
もし、喧嘩ができたら。