自分の心身を守るための休職は、時に心を粉々に打ち砕くものと知った

わたしは社会人1年目の夏、休職をした。生きていることがあまりにもつらくなり、そしてそれは会社の環境が影響していることは自分でもわかっていた。けれど、やらなければ、仕事なのに、できない自分に悔しくなって無理をして、無理を重ねて、ある日倒れた。救急車で運ばれて、その日のうちに休職が決まった。通っていた精神科の先生も、状況が状況だと、すぐさま診断書を書いてくれた。
たかが1年目の社員がひとり抜けたところで、影響など何もなく。周りからの連絡も途絶えた。あ、これならわたしは死んでしまっても構わないのでは、と思った。仕事が好きで、仕事ができていることでしか価値を見出せないわたしにとっては、「休職」という判断も苦しめられるものだった。わたしを全て否定されているような気持ちにさせられていたからだ。すぐにでも戻りたい気持ちがあった。都合で精神科を転院して、そこから現在の主治医になっている先生にも、休むように、とよく言われたが、仕事がないだけでも休んでいるのに、これ以上なにを休めと言うのだろう、と思っていた。
心は全然大丈夫にはならない。休職して1年半後の冬、退職をした。わたしは全てを失い、引きこもり生活になる。通院のためにしか家を出られなかった。
ある日事態は突然好転するもので、辞めた会社から、「単発でいいから来て欲しい」と言われた。こんなわたしでも役に立てるならと二つ返事で了承した。それからは楽しかった。月に数日、それだけでも、なにかに貢献できている感じがして、そしてわたしに価値が生まれたような気がして。もっと頑張れるんじゃないか、もう大丈夫なんじゃないか、そんな気持ちが芽生えてきた頃、「新店舗のオープニングスタッフとして盛り上げてほしい、あなたがいるなら安心できる」と言われ、そこまで評価してもらえるほどにわたしは頑張れているのなら、できるんじゃないか、と思った。
結論から言う。やっぱりわたしにはできなかった。最初の方こそ順調に勤務していたものの、どんどん日数を減らしてもらい、ついに4ヶ月目で「しばらくお休みをください」と、家族に連絡をしてもらった。わたしが、自殺しようとしたからだ。それからはまた、2度目の休職中の身分である。
自らを傷つけてまでする仕事はないと思う。命を捨てる覚悟をするくらいなら、仕事を手放す方が健全な判断なのだろう。でも自分の心身を守るための休職は、時に心を粉々に打ち砕くこともある。少なくともわたしはそうだった。仕事を失うことで、いままでの人生全てが、苦しかったものへと塗り替えられた。(どうしてわたしはこんなにもできないのだろう)、そんな気持ちでいっぱいになる。よくできた子供だった。自分でもわたしは将来きっと、当たり前に手に入れられるはずの幸せも享受できると思っていた。だけど、人生を狂わされた。どうにもできない自分の心の問題で。
だけど、休職という判断は正しかった。でなければいま、わたしはここにいないだろう。一度壊れてしまった心は元には戻らない。けれど、生きているだけで良いのだろう。少なくとも、家族にとっては。だから、これを目にする人がいるならば、そしてその人が、あなたが休職することを考えているのなら、あなたにとって大切な人がいるのなら、ぜひそうしてほしい。大切な人は誰でもいい、自分でも、いい。どうなれば休職した方がいいのかわからない、わたしはまだやれると思っている人もいるかもしれない。でも、あなたの頭の中のどこか片隅にでも、『休職』という言葉が浮かんだのなら検討してみても良いだろう。今の仕事が合わないなら、合う仕事を見つければいい。この世に仕事はたくさんあるんだから。どこか遠くへ引っ越してもいい。自分を、心を身体をどうか守ってほしい。
まだ暗いトンネルの中にいて、自分を傷つけてしまうこともある、それでも生きている。生きているうちは選択肢がたくさんある。休職ではなく、退職してしまうのも一つの手だろう。また始めればいい、ここから。
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