私は自分の人生において、逃げるという選択肢を取ってきたことが本当に少ない。なぜなら、そもそも「逃げる」という言葉を前向きな意味で記憶していないから。だからこそ、「逃げてよかった」という言葉も未だに違和感がある。そんな私でも、「逃げてよかった」と思ったことがある。それは、去年会社を辞めたこと。

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逃げるという行為は自分の身を守るため、自分で考えて決断することだと言えるので、前向きな行為であることは間違いない。でも、日本には諦めない心が美徳とされる風潮が流れているし、周りから感じる無言の期待という圧力がのしかかってきたりする。こうやって言葉にしていると余計感じるが、なんて面倒くさくて厄介な国民性だと思う。自分の責任は自分で取れというなら、ほっといてくれよと、たまにフラストレーションが爆発しそうになるときもある。

私の場合は、幼いころから親や周囲からの期待に応えることが優良なことであると教育されてきたのが全ての根源であると今では理解する。例えば習い事、ピアノの先生がいくら怖くても、泣きながらピアノを弾くことでよく頑張ったねと褒められたし、全然必要と感じていなかったスイミングも親に言われて通ったりしていた。何かをやっていることで褒められたし、それを続けているから結果が出るんだよという思考プロセスみたいなものも押し付けられてきた気がする。

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高校生になって初めて親に反抗するときまでは、その思考に疑問すら持たずにいたから、自分が考え続ける人間でよかったと、大人になってから思う。あと、トップ校への進学が課されていた高校受験期と、その受験期に今ではもうあんなに頑張れないと思うほどの努力をしてきた記憶、それが実った成功体験が、ある意味私を今になって苦しめている。逃げなかったから、続けたからうまくいった記憶が呪いのように私を縛っている。

だけど、そんな私でも去年、新卒で入社した大手企業を辞める決断ができた。その決断は「やりたくないことをやり続けることをやめる選択」と言える。学生までと違って、社会的立場も意識し始めた私にとって、会社を辞めること、なんなら人に羨まれるほどの大手企業を辞めることは、到底してはならないと脅迫概念を感じていた。それでも、出社するたび、タイムカードを切るたびに、心が壊れそうなことに気づいた。

その予想は的中し、心身ともに衰弱した結果、精神科で適応障害と診断され、休職をすることになった。そして会社から言われる、あくまで復職を目指すための休職というワードに凄まじいストレスを感じていることに気づいた。

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私にとって、精神科で「あなたはこれまで頑張ってきました、一旦休みましょう」と先生に言われていたことが、会社から逃げる選択をできるきっかけになったとも感じる。その結果、休職期間中に会社に辞めたいと言えた。

私のような、完璧主義で、要領の良さそうな生真面目タイプの人ほど、何かから逃れる決断をする際に、ちゃんとした理由を求めがちかもしれない。だからこそ私は、この経験から明確にわかったことを伝えたい。まずは、心と身体の声には素直でいること。特に身体のSOSサインは一番素直でわかりやすい。だから見ないようにしちゃだめ。

あとは、自分も周りも信じられなくなったら精神科に行くこと。私は最初、精神科のイメージが良くなかった。でも調べてみると、海外は精神科がもっと身近なものとして暮らしの中に存在していた。

日本の国民性として、良いことも悪いこともなんでも思い込むことが根付いているとも言えるかもしれない。人は一回そう思ったらなかなか変えられない生き物だけど。
それでも、やりたくないことをやる続けるほど人生長くない。最後はやっぱり、一度きりの人生、やりたいことをやる。