とにかくこの社会では、休むことが難しいと感じる。学校でも休まず行けば皆勤賞、仕事では休んだら有給や給料が減ったり、部活も習い事もたくさん行って練習するのが良い風潮。家事なんかは、自分でけりをつけないと休めない。

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私自身、昔から何かと学校や部活動などを休みがちな子だった。外に出るととにかく頑張らなくてはならず、時折自分の殻に潜りたくなって、1日中、いやもっと、布団の中でぼーっとする時間が必要だった。しかし、休むことには理由を求められることが多かった。ただ疲れたから、では、大人には回答になっていなかったようだ。親、先生から、気持ちが弱いとか病気だとか、理由を出すように求められた。休むたびに、どうして休むのか、理由や答えを出さないといけないのが辛かった。

しかし学校というのは、厳しいように見えて実はものすごくやさしい場であるように思う。学校に入学して、どんな過ごし方をしようと、数年経てば強制的に卒業という名の区切りをつけてくれる。それはある意味とても楽なことだと、大学を卒業して働くようになってから気付かされた。

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高校もしくは大学の後半から、就職活動が始まり、おそらくほぼ初めて、自分自身で所属したい場所を一から決めることになる。今まではお受験をする子でも、小学生は中学生になり、中学生は高校になり、と年齢や地域によって選択肢が限定的だった。年齢が上がるごとにその選択肢は無限に増えていく。

就職して、初めて自分で選びとった場所で、うまくやれないのはとてもしんどいことだ。その場を選んだ自分自身がダメな存在なように感じるだろうし、周りと違う自分の欠点を痛感させられるだろう。ひどくなっていくと、体を壊して元のように動けなくなったり、精神を病んで外を歩くことができないこともあるだろう。

そういった状況になった際、もし学校だったら。学校に行かずに卒業まで待つことができる。だが仕事だとそうはいかない。自分の持ち分の仕事もあるし、生活するためのお金にも響く。会社に休みや引き継ぎの連絡をするのも骨が折れる。しかし、体がしんどい状況で、仕事を退職して次の場所を探すという作業は、とても労力を使ってしまう。体も心も負担が大きいことだ。心理学では、人生での重要な選択をするとき、最も大きくストレスがかかると言われている。

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休職、という選択肢をとるのは、そういった時だと私は思っている。

一度その場に立ち止まって、所属した場所に居たままで、休む。ダメージを受けた体と心を休ませて、少しずつ回復してきて余白がでてくれば、自分がどうしていきたいのか、考えれば良い。とにかく、いっぱいいっぱいになったときは、休んでいい。心身が疲弊しているときに、自分の人生において重要な選択をするのはおすすめしない。冷静な判断が難しいからだ。自分で自分の道を決めたり、終わりを決める難しさを、私はよく知っている。

もうすこし踏み込んでいうと、社会には実はたくさんの救済措置が溢れている。社会保険に所属していれば、病気で休んだら適切な手当がもらえるし、休職中でも給料の何割かを払ってくれるよう決めている会社がある。心が病んでしまって通院が長くなれば、精神科通院の支援制度もある。仮に退職に進もうとするのなら、失業保険を使うことができるし、仕事に戻る時は、仕事に少しずつ慣れるようリワーク制度もある。

どうか、1人で悩まないで、休んでほしい。社会は思っているほど厳しくない。休職することは、あなたが弱いことにはならない。社会にとって休職という選択肢が広まるように、いつでも祈っている。